吃音:医師や学者でもなく言語聴覚士でもない、ごく普通の吃音者が情報を発信する必要性(再掲載一部改編:初掲載は2008年4月11日)

 どもりの人のほとんどは、ごく普通の人たちです。
 それは、幼稚園生から大学生までの学生か、家庭の主婦か、ご隠居さんか、引きこもりになっている人か、現役でいろいろな職域で働いている人たちです。

 しかし、職業の違いや、それぞれの人の置かれた環境、
また、まわりの人のどもりに対する理解の違いによって、かかるストレスは大きく違ってきます。

 吃音者が育つ過程においても、どもることを過度に指摘されたり、家族の吃音に対する無理解、
また、帰ってもくつろげないような雰囲気の家庭で育った場合には、家出しない限り環境は変えられないわけですから、場合によってはうつ病などの心の病気も併発し大変な苦労を強いられる場合があります。
*私の場合はまさにこれに当てはまります。

 仕事の違いによる例をあげてみましょう。公務員の場合と民間企業の場合です。
 「仕事上で話す」ということに関しても、「民間企業(それも中小零細企業)の社員が顧客や取引先とする直接の交渉や電話での交渉」と、「県庁や市役所の公務員が市民や県民に対して電話をするとき、また、取引のある業者に電話するとき」のストレスでは、明らかに大きく違うでしょう。
*それぞれの職業を比較した場合の考えであって、学校を卒業してから公務員しか経験していない人にとっては、公務員の仕事上のトークが耐えきれないほどつらいものになることは十分に考えられます。

 医者やカウンセラーと患者(クライアント)の場合で考えてみると、表現はきついかもしれませんが、ときとして、上から見下ろす形になってしまうことになりかねません。

 どもりで仕事になかなか就けない方や、学校で発表ができない学生、職場で電話のできない方の劣等感や焦燥感はそれは大きなものなのです。
専門の先生に頼りたい気持ちとともに、先生の何気ない言葉にも傷ついてしまうような弱い立場にいるのです。
*たとえカウンセラーや医師がどもりかどもり経験者だったとしても、いま現在、どもりを持ちながら普通の仕事をして問題に直面している人との間にはギャップが生じてきます。

 だからこそ、大多数のどもりを持っている「普通の人」が、毎日の生活のなかで・・・、
「こんなことが大変なんだ!困っているんだ!」という「本当の生の声」を絶えずあげていかないと、
専門家といわれる方や、吃音者にしても一部の「声の大きな方」たちの考え方が、どもりをもっている人の一般的な考え方と思われてしまい、社会政策にも反映されてしまいます。

 いまは、インターネットという誰でも簡単に情報を発信する道具がありますので、どもりを持った普通の人が、日頃感じることや困っていることなどの生の声をいままで以上にあげていく必要があります。

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