吃音者は毎日を何気なく過ごすことができにくい(再掲載一部改編:2008年5月30日)

 当たり前のように流れていくかに思える毎日・・・、
 しかし、ある程度より重いどもりを持った人にとっては「毎日を何気なく生きていくこと」こそがとてもつらいことなのです。
*私も、40歳代の半ばを過ぎた今に至っても、そして苦労の末に社会人としての一定の期間を過ごしてもなお、子供の頃からのどもることにまつわる苦しい記憶が消えることなく心の底に通奏低音のように流れ続けています。

 どもる人は、職場や教室、そして家庭内での何気ない会話でさえも、ことばが出てくるまでに時間がかかってしまい、話の輪に入れないことがあるのです。
 また、「ぼぼぼ僕は・・・」というどもり特有の症状は、話す場所が正式なところなほど、吃音者本人の心と傷つけ萎えさせます。
*どもりの重さと症状の違いにより、このあたりの事情は大きく異なりますので注意が必要です。

 たとえ、まわりの人がどもりに理解があって、どもりながらの話を忍耐強く聞いてくれるような環境があったとしても、かえって本人が気を遣ってできるだけ話さないようにしてしまうかもしれない。
こんな感情を抱えて生きていくことはとてもつらいことで、「毎日を生きていくことが本当につらい」ことなのです。

 ちょっと聞いたところでは、どもりを持っているとは気づかないような軽い場合でも、本人の心の中を覗けば実はいつも崖っぷちで・・・、「どもるか、どもらないか」というボーダーライン上でさまよっている場合もあります。
つまり24時間フルに心が安まらないのです・・・・・・

 あえて言えば、1日が終わり、これから寝ようとするくらいの時間がいちばんくつろげるのかもしれません。
しかし、布団の中に入ると、また明日へのカウントダウンが心の中で始まってしまいます。
 私の小・中学生、高校生の頃の記憶、または、社会人としてなんとか就職できた頃の強烈な記憶です。
*そして、生活や仕事の状況次第では、いつ再現されるかもしれない心象風景です。

 書き始めた時点ではこのような内容になるはずではなかったのですが、いつのまにか指がキーボードをたたいていました。
無意識のなかに深く住み着いている子供の頃からのどもりのつらい記憶がそうさせているのではないでしょうか。
*何の規制もなく思うままに書いたり、自由に話し合ったりする場があると言うことはそれだけでもかなり癒されるはずです。
ネット上の仮想空間でも良いですが、やはり、実際に顔をつきあわせて話し合うのがいちばんですね。

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