吃音をがまんしない、がまんさせない (再掲載一部改編:初掲載は2008年5月11日)

 吃音者がどもりであることを自分のせいにして・・・、「自分の心が弱い」とか「努力が足りない」などと自分を責めてみても仕方がありません。
 そんなことで良い方向に向かうわけがありません。

 家族が吃音を持って悩んでいる家族に対して「就職できないことや学校に行けないことをどもりのせいにするのは甘えている!」などと言うことはなんのサポートにもなりません。
それどころか本人のこころをさらに追い詰めるだけです。

 ぜならば、就職できなかったり学校に行けない本人が、いちばん深刻に悩んで自分を責めているからです。
*心の中ではとことん思い詰めて自殺を考えているかもしれません。

 吃音を持って悩んでいる人の家族は、強い言葉を発して(結果として)追い詰めるのではなくて、このように考えるところからはじめてはどうでしょうか・・・
「この子は子供の頃からどもりでかなり悩んでいたはずなのに、どうして、今まで、我が家では、どもりで悩んでいたはずの子の側にたってものごとを考えたり、小さな頃どもりはじめた時に、将来を心配していろいろと具体的に動かなかったのだろうか?」と。

 比較的軽いどもりを持つ人が、「苦労して就職して、入ってからもさらに苦労しながらどもりを克服し・・・」などという経験談はよく語られるところです。
*世の常ですが、実際はそれほど重くない吃音者が自らの経験をデフォルメして「いかに重いどもりを克服したか」という話になりがちです。

 私は20歳代の終わり頃、どもりによる大卒後の就職の失敗と2年間の引きこもりから立ち直って、ハローワークで仕事を探し同級生から2年遅れで働き始めた頃ですが・・・、
通っていた民間のどもり矯正所の先輩に誘われて、「矯正所の卒業生?」が集まる飲み会に参加したことがあります。

 その会合では、どもりを克服したという「先輩」が説教がましく「もっと練習せよ」「考えが甘い」などと酒を飲みながら話しかけてくるのをさんざん聞かされましたが、その口調や顔つきから、「きっと、この人たちは職場で、今でもどもりでそれなりに苦労していて、はけ口としてこんな場所で偉そうなことをいっているんだな」と直感的に思ったものです。
 本当に苦労して社会に出て、しかも努力の末にどもりを持ちながらもそれなりの地位に昇った方から出る言葉ではないなと直感的に感じたものです。

 「自分がどもりであることをがまんしない」とは、もちろん、自分がどもりであることを理由として甘えることではありません。どもりを持ちながらも自分としての社会的責任を果たしていくことは必要ですが、

 どもりであるために(学校で職場で家庭内で)過大なストレスがかかり・・・、「ストレスに耐えきれずにどうにかなってしまうのではないか、いっそ死んでしまった方が楽だ」などというところまで追い込まれないように自分を守ることが必要です。

 特に、自分のことを自分で守れない子供の場合は、家族などのまわりの人たちが協力して守ってあげることが必要ですし、
たとえ成人してからでも、過大なストレスから鬱病などの心の病気にかかったときには、まわりが協力して手厚くサポートすることが必要です。
*大切な家族が自殺してしまってからでは取り返しがつきません。

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