吃音者への対応は、症状ごと、ケースごとに変えるべきです(再掲載一部改編:2008年5月14日)

 どもりには軽いどもりと重いどもりがあります。(今回もいつものテーマから始まりますが、私の持っているテーマなのでお許しください)

 比較的重いどもりを持ちながらも自分なりの充実した人生を歩んでいける場合もあれば、客観的に見て、それほどどもっていないにもかかわらず、引きこもりになったり自殺を試みる場合もあるでしょう。

 どもりの人を取り囲む環境にも、良い環境と悪い環境があります。(特にどもりが発症してから思春期くらいまで)
環境が良ければ、どもりの重さにもかかわらずあまりネガティブな感情を持たずに自分らしくアクティブに生きていけるかもしれません。
 いっぽう、どもりの人を心理的に追い込むような悪い環境に置かれ続ければ、症状は軽いにもかかわらず、さらに悪化したり心理的に追い詰められてうつ病などの心の病気になる危険性も高まるでしょう。

 特定な場所と特定な時を切り取って、クリニックや教室で、「どれくらいどもるか」などの頻度を測定してみてもあまり意味がないのです。
どもりはそのような障害です。

 授業中に教科書の(ひとりでの)音読ができずに困っている子供が、言語クリニックや民間の矯正所の教室でゆっくりと本を読む練習をする。
読むスピードをかなり落として、息継ぎは確実に大きく意識的にしながら行う。
 これは過去に民間の無資格どもり矯正所で行われていた典型的な方法ですが、何回か重ねていくと嘘のように上手に本が読めるようなってきます。
 かなり重いどもりの人でも、このようにすれば、その場限りですが、嘘のように流ちょうに読むことができます。自己紹介などでも同様なのです。
しかし、クリニックを一歩出て実際に試してみると役に立たないことがわかります。

 治療者から、「最近良くなりましたね」などと言われと、
「おかげさまで良くなりました」などと言ってしまう方が多いのも、どもりの特徴というかよく目にする光景です。
 本当は良くなっていないのにそう言ってしまう背景には、「ここでも治らなかった」というあきらめの気持ちがあるのかもしれません。

 治療者側の評価(例えば「だいぶ良くなった」)と、本人の自己評価(「先生には言えないがほんとうは、ほとんど変わっていない」)が大きく違うのも、どもりという障害が持っている特性かもしれません。

 あくまでも、本人がクリニックや教室を出て、日常に戻ってからの生活環境において、
「良くなった」、「楽になった」、「困ることが少なくなった」と心から思えてはじめて効果が出たと言えるのですが、そこまでのフォローはほとんどないでしょう。
 どもりを持つ人は、どのような場所で、どのような人を相手にして、などという「状況の違い」で、同じ人とは思えないほどの違うどもりかたをすることが多いのです。

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