普通に生きるのがつらい吃音者の苦悩(再掲載一部改編:初掲載2007年9月28日)

 どもる人には、日々のごく普通の生活のなかで言葉の上でのさまざまな耐えがたい不都合があります。
だからこそ辛い「障害」だし、人によっては毎日の人生そのものがつらい(生きるのがつらい)のです。
(いつも書いているように、どもりには軽いどもりと重いどもりがあり、この違いには天と地の開きがあります。
また、第三者から見て軽く見えるどもりが本人にとっても「軽いどもり」であるとは限らず、生きている環境によっては自殺をも意識するほど追い込まれている場合もあります。
努力した末に就職し活躍している比較的軽いどもりの人が、どもりの人が集まる会合などで自分の経験を話すときには、たいていは自分のどもりは実際よりは重く語られます。
「いかに『重いどもり』を乗り越えていまに至ったか」を語りたくなるのは人間らしいと言えばそれまでですが、いま悩んでいる人にとってはそれは自慢話としか感じられないこともあり、苦痛にすらなることもあるでしょう。)

 さて、
 どもらない人は、私的な、または仕事上の電話をする、また、電話をかけて話したい本人以外が出た時には呼んでもらうことなど、言葉によるコミュニケーションを当たり前のように繰り返しながら毎日を過ごしています。

 営業マンであれば、他社を訪問するときには、大手企業の場合は入口で受付嬢に、それ以外では入り口に置いてある受け付け用の電話で、また、ドアを開ければ即事務所のような零細企業の場合は入るなり元気よく大声で、自分の社名と名前を告げて取り次いでもらいます。
 また、自社の売り上げをなんとか増やそうと競合他社の製品を使っている会社に入り込んでいくために、(歓迎してくれない相手に対して)無理をしてでも電話等でアポイントを取って新規開拓をしていく必要があります。
*お得意先のみをまわるルートセールスで食べていける時代ではありません。また、「飛び込み営業」などというのは、ある程度以上の企業に対してはもはや昔話です。たいていは入り口でカットされます。

 吃音者は、どもらない人が日常的に行っているこのような行為が、できないか、できにくいのです。
言葉というコミュニケーションの手段をうまく使えずに、人生につまずいてしまうのです。
 どもらない人にとっては何気なくやっている(話すという)行為が、(ある程度以上の重いどもり)にとっては地獄のような苦しみなのです。

 どもりを理解しようとする、関わろうとする家族や治療者にとっては、どもりの人のこんな想いをどこまで理解できるかが、どもりの本質がわかり適切な対処ができるかの分水嶺になるかもしれません。

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