吃音で苦労することで自信をなくし、自分の能力を必要以上に低く評価してしまうこと(再掲載:初掲載2012年5月31日)

 子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりを持っていることで・・・
*単純に「重い・軽い」ということではなくて、客観的には軽く見えても実は深く悩んでいて、日常生活に支障を来したり自殺を考えるほどに追い込まれる「心理的に重い吃音」も含みます。

★電話ができない、なかなかかけられない (怖くて全くかけられない、でられない。でても会話が成立しない。自分の名前が言えない、なかなか出てこない)

★聞かれても自分の名前や会社名などが言えない、なかなか出てこない(買い物のとき、学校で、家に来客のとき、仕事上で、他)

★学校や職場で指名されても答えられない・なかなかことばが出てこない(授業中、いろいろな行事、委員会活動、会議などで)

★何気ない会話でさえどもってしまうようなところを家族に見られたくないために、家庭内でも最小限のことしか話さない(話せない)のような経験を繰り返していると、「何かが言えない」、結果として「やるべきことができなくて困る」ということだけではなくて、

さらに、

★自分に自信をなくして卑屈になってしまう。どもることだけでなくて自分はダメな価値のない人間と思いこんでしまう

 こんなことが、自分の子供の頃からいままでの経験からしても、また、他の吃音者の生き様を見ていても感じられることが多いのです。

 学生時代は学生時代で大いに悩みますが、社会人になるとき(就職時)と、なってからの悩みはそれ以上です。遙かに厳しものとなります。

 ある程度以上の重さのどもりを持っているということは「社会人として組織で働き自分で稼いで生きていく」ことには大きな障害となります。
*学生時代でも悩みが深刻になれば学業不振になり、さらには不登校や引きこもりになることもあります。
*就職についても、自分のどもりの症状や重さを考えて、いわゆる会社(オフィスワーク・営業など)に入るのではなくて、農業・漁業、自営業などいろいろな選択肢があるのですが(就職ではなく就業)、現実には(特に都市部に住んでいる場合は)そこまで柔軟な発想ができないというのが本当のところです。

 生きていくために必要なコミュニケーションの分野に障害を持っているということはそれほど大きなことで、しかしその割にはこの吃音という障害が世間に認知されていない・・・
 たとえされていても、「おっちょこちょい、慌て者、恥ずかしがり屋、内気、小心者」程度の認識です。

 これくらいの認識しか持たれないことが多いので、現実の世の中でどもることは、本当に悩んでいる吃音者の心をさらに追い込んでしまい生きる気力をなくしてしまうのです。

 吃音問題を考えるときには、こんな「吃音者の本当のこと」を見つめ直すことからはじめてみる必要があります。

 誰かの経験(「子供の頃はどもっていたが治った」とか、「誰々はどもっていたが、すっかりと良くなっていまでは活躍している」など)を聞きかじって、それをどもりで悩んでる人に言ってもみても、その人にとっては慰められるどころか、心をかき乱されて悩みを深めるだけです。

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