吃音への取り組みの変遷(再掲載一部改編:2005年7月3日)

 今回は吃音への取り組みの変遷を書いてみます。
 かつては東京周辺でも何カ所かは、「吃音は治る」と称して高額(十万円以上もかかる)な料金を取る教室に通うタイプの民間療法(無資格民間どもり矯正所)がありました。
90年代初頭までは首都圏でもかなりの数がありました。
 なかには戦前から続いていたのもあり、昭和から平成に変わるころまではそれなりに人を集めていたようです。

 私も思いつめてそのなかのひとつに通いました、内容は、集団での訓練で、腹式呼吸の呼吸練習と発声練習を行なうものでした。
 地方から多額の交通費と滞在費をかけて来ている人も多く、ある人は良くなったと先生にお礼を言い、またある人は高額の料金を払ったのに(内容にがっかりして)2回目からは教室に来ない人、裏切られたと恨み節を言いながら去っていく人、など様々でした。
*クレームを付けて料金を返してもらった、という話しはほとんど聞いたことがありません。

 私にはそれなりの「効果」がありました。
 というのは、一番の収穫は訓練内容ではなくて、いままで出会えることのなかった多くの同じ悩みを持つ仲間にはじめて出会えたということでした。
 彼らとはすぐ意気投合し、街中に出て見知らぬ人に道を聞く練習、お互いに電話をかけ合ったり、また、それぞれの人の苦手な場面を再現しての練習も行ないました。(飲み会も良く行ないました。)
*2013年のいまでは、戦前から続いていた寺子屋のような小さな教室に複数の吃音者が集まって和気あいあいと「訓練」を受けるような形の矯正所はほとんどなくなっていると思います。教室に通うようなものでも、先生と1対1のもの。通信教育のような形をとるもの、また、セミナー形式のものなどがあるようです。それらは、民間矯正所のいちばんの利点であった、同じ悩みを持つ仲間と知り合えて語り合い教室外で自由にグループ活動ができる、ということができません。

 吃音の原因が医学的に分かっていないので有効な治療法や確実なリハビリテーションの方法も確立されていないことはおわかりのことと思いますが、専門領域の勉強もせず公的資格も持っていない指導者の下で、1対1などの、その方法を批判したり他の方法と比較できない状況下で「治療」や「訓練」を受けることは、いまとなっては、危険ですらあります。
 かつての矯正所のいちばんの利点であった「同じ悩みを持つ仲間と知り合える」ということは、いまではどもりのセルフヘルプグループに引き継がれています。セルフヘルプグループにはいろいろな民間療法を受けた経験のある方もおられ情報が入りますので、インチキにだまされたり余計なお金をかけずに済みます。

 ところで、小学校の「ことばの教室」は70年代から徐々にできてきたものと思われます。
 今でもそうかもしれませんが、各学区のなかに言葉の教室のある学校が数校あり、授業中に抜け出してそこに通う方法(このシステムからして旧態依然で使いにくい。放課後や土日も行なうのが当たり前では?)が主で、初めのころは、ST(スピーチセラピスト=専門的に教育された言語療法士いまでは国家資格者の言語聴覚士)なんていませんでしたから、普通の先生が指導するようなパターンが多かったようです。(今でも、STなどの専門家ではなくて「普通の先生」が指導されている場合が多いのでは?)

 私が中学生だった70年代中ごろに、私の担任の先生がたまたま特殊学級の担任の経験もある先生だったことを知り、勇気を出して、「吃音は治りますか?」聞いてみたことがありました。
「良くなることはあるが治ることは難しいし個人差がとても大きい」みたいな答えだったと思います。

 日本は、多くの面で、いまだにアメリカ追従から抜けきれませんが、吃音問題もそのなかに入るらしく、言葉の教室での取り組み方も、アメリカで研究・開発された各種療法や考え方の影響をかなり受けているようです。
DAF(聴覚フィードバック=ヘッドフォンなどをつけて自分の発した言葉を遅延させて耳に戻してやることで吃音を軽減させようとする方法)に取り組んでみたり、吃音者の多くが体験する(斉読効果)、つまり教科書などをみんなで声を出して読むと多くの場合ではそのときだけどもりが消滅するか軽減する(それでもどもる人もいます)のを利用した方法など、が行なわれてきました。
 そして今では、吃音を治すことに必要以上に固執せずに受け入れようとする取り組みが多くなされているようです。

 これに関しては、アメリカによるというよりも、言友会というセルフヘルプグループが過去に出した「吃音者宣言」に代表されるような、「過去にいろいろな療法を試してきたが症状としての吃音はどうも良くなりきれない」と主張する人たちが、「単に吃音を治そうとするのではなくて、どもる自分を受け入れてみよう・・・」というような考え方の流れに影響されているようです。(詳しくは「吃音者宣言」を全文、きちんと読んでみてください、ネットですぐ見つかるはずです)

 以前も書きましたが、私は90年代初めころに、国会図書館に何回も通って吃音について調べた時期がありました。
日本では、現在に至るまでの間、どのような人がどのように吃音に取り組んできたかを調べてみたかったからです。
(現在では、国会図書館はレファレンスがPCにより自動化されましたので、わざわざ出向かなくてもインターネットで書名、著者名と目次の一部などは検索ができます。)

 調べてみると、明治期から吃音についての組織的な取り組みが存在したことには驚きました。
なかでも、明治中期以降の伊沢修二による「楽石社(らくせきしゃ)」の設立でしょう。
 彼は教育家であり、貴族院議員もつとめ、アメリカにまで留学したインテリですが(あのグラハム・ベルとも交流があったらしい)、自宅に楽石社という各種言語研究のために施設を作り、そこで吃音矯正の研究・実践も行ないました。
最終的には政府の財政的な支援を受けて日本各地に矯正施設を作ったようで、これほどの組織的な事業は個人中心のものとしてはきわめて珍しいのではないでしょうか。(明治人の気概を感じます)
 彼の療法は、楽に言葉が出るように、声帯付近に力が入らないように口の形を工夫しながらの発音の練習と、息をスムースに出すために腹式呼吸の訓練も行ないました。

 この、発声練習と腹式呼吸による横隔膜のコントロールによる矯正法は、いろいろと形を変えながら戦後も続き、戦前からアメリカの大学で(アイオワ大学=ジョンソン、など)組織的に研究されていた各種方法、たとえば引き伸ばし法(音を引きながら発音する)とかバウンズ法(わざとどもるように発音する)などを適当にミックスさせて、昭和の時代にできて90年代はじめ頃まではあった、電信柱の張り紙や漫画、週刊誌などの片隅に小さく宣伝が載っているような民間の矯正所で、それらの療法が続けられてきました。
 そして、これらの矯正所に通っていた吃音者たちのなかから、今までの方法ではどうも良くならないかもしれない、治りきれないかもしれない、と言う考えが湧き上がり、昭和40年代くらいからの言友会やその他のセルフヘルプグループの運動へと続いていくこととなります。

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