吃音者が日常生活のコミュニケーションを少しでも円滑にするために、また、希望する仕事に就くために、ことばの流暢性を維持し高める工夫をすることと、希望通りにいかないときに諦めて別の生き方見つけること (加筆再編集:初掲載2010年5月18日~)その1

 今回は、比較的軽い吃音者を想定して書いています。
 そもそも「比較的軽い吃音」とはどういうことか。そのような専門的な定義など存在しませんが、ここでは仮に、以下のように考えます。

★日常会話における基本的な意思疎通に大きな障害が生ずるまでには至らない。買いたいものを注文でき、食べたいものを言える(どもりながらでも結果的に目的が達成できる)
★症状に波がある。自分ではほとんどどもっていないと感じられるほどに軽くなることが定期的にある。
★授業中の発表や、面接を受けたり電話をかけるときに、自分の名前や会社名その他の決まり文句を言うのに数秒から数十秒にわたり(必ず)激しくどもる、(最初のことばが出てこないか言葉を大きく繰り返す)ほどではない、

 なぜ、今回、「比較的軽い」にこだわるかというと・・・、
 何気ない日常会話においても常に激しくどもるような重い吃音をもっているケースに同じ考え方(言葉の流暢性を高める努力をする)をすることは、かえってその人のこころを追い込んでしまうと思うからです。

 こう考えること自体吃音者の差別化ととらえられてしまうかもしれませんが、それは私の本意ではありません。
 あくまでも、今回のような設定状況においてプラクティカルに考えたいということで読んでいただければと思います。

 どもりを原因としてその人の人生にに起こる様々な問題は、症状や重さの違い、本人を取り巻く心理的・経済的環境(特に子供~思春期後期くらいまで)の違いにより大きく変わってきます。(同じ「どもり」ということばでくくってしまって良いのか迷うほどです。)
どもりには、生活にはほとんど影響を及ぼさないようなごく軽いものから、人生を大きく変えてしまう深刻なものまであります。
 どもりを持っていても、一般的な職場でどもりを持っていない人と同じ内容の仕事ができるくらいの方もいれば、それが無理な方もいらっしゃり、その中間、つまりボーダーライン上の方もいます(私はこれに当たると思います)

 時間の経過による変化も見逃せません。
 吃音の症状は、長い人生のなかでは、かなり軽くなる場合もあればぶり返しもあります。
思春期~20代くらいまではそれなりに重い吃音であったのが、いろいろな人生経験を経て、一般的な仕事にも影響しないくらいに改善される例もありますし、その同じ人がある日急にぶりかえす場合もあります。

 学業や仕事の本来的な能力には問題はないのに・・・
 いざ、人と話すとき(直接や電話で)や人前で発表する場面になるといきなり躊躇したように激しくどもったり、自分の名前や会社名などの間違えようもないことばがなかなか出てこない、
または、大きくつまずくように発音するなどのいわゆる「どもる」ことやそれにまつわるストレスで、結果的に学業や仕事、ついには日常生活まで悪影響を及ぼす(仕事や勉強に手がつかなくなる。
うつ状態になり日常生活がこなせない)ことは、結果的にその人の社会的な立場を弱くしますし、生きていくことすらつらくする場合もあります。

 世界有数の先進国である日本においては、障害を持っている方も健康で文化的な最低限の生活が保証されるように、各種訓練や治療、カウンセリングを安心して受けられるようにしなければなりません。
持っている障害に応じて働くことができるように、公的機関が最大限のサポートをすることは、本人にとっても周りにとってもとても良いことだと思います。

 前置きが長くなりましたが、「比較的軽い吃音者が希望する仕事に就きたいのに、どもることがネックとなって就けないことや、就いた仕事が長続きしないことをなんとかしていきたい」また、「日常生活のコミュニケーションや学校、職場でのコミュニケーションを少しでも円滑にしたい」というテーマで書いてみたいと思います。

 いま生きている環境やこれから目指す方向に「適応」できるように、できるだけ言葉の流暢性を高めるための方法として、医者などの専門家の選択、カウンセリングの受け方、言語訓練の仕方、本音を言える仲間の作り方、どもりを苦労をしながらでも自分の心を安定した状態で保つ工夫などを書いてみます。
 また、最大限努力しても、どもりのために自分の希望がどうしても達成できない場合の「自分のこころの処理の仕方」についても考えます。

 テーマには以下のようなことがあるのではないかと思います。
★「どもりにこだわらないこころ、考え方」と、「思いっきりこだわってよい」という相反する心の動きを自分の中で認めてあげること。
★現実(どもりの重さや症状の現状と、家族の精神的・経済的バックアップの状況)を踏まえた上で、できるだけ自分の希望する人生を歩んでいくには?
★「社会に適応するためにいろいろと努力するという考え方生き方」を受け入れて動いていくことができるか?
★「自分にとってギリギリの人生を生きていくか」「楽な人生を指向するか」?
★こころを病まないように注意しながら生きていく方法
★吃音仲間の大切さと、グループのなかの人間関係で傷つかないようにすること

 まずは緊急対応の話からしなければなりません。
 どもりを持っている状態、それも比較的軽いといっても、家庭内の会話、電話を使うとき、学校や職場での会話や、発表、会議などで少なからぬ支障があるはずです。
また、昨日は比較的調子が良かったが、今日は朝から絶不調でおはようの「お」すら出てこない。どうしよう・・・なども日常茶飯事のはずです。
 そんな状況下で、どもりがネックとなって仕事上の問題が出たり、学校や職場でいじめにあったり、また、まわりに本音を言える人がいなかったりすると、ストレスが限度を超えてしまい「うつ病」などのこころの病気になってしまいます。こころが追い込まれてくると発作的に自殺を考えてしまうことがあり大変危険です。

 そうなる前に、精神科・神経科の病院にかかることをおすすめします。
神経科・精神科のほかに、心療内科というような名前もありますが、大病院はともかく個人病院の場合は、「精神科」としてしまうと敷居が高くなってしまうので、実態は精神科でもそのように名前を付けている場合が多いようですね。
*、「うつ病」が、バブル崩壊後に国民病と言われているほど一般的になり、精神科にかかるためのわだかまりというものはなくなってきていると思います。
さて、どもりで悩んだ方が思いきって精神科医にかかったとしても、先生のどもりについての知識のなさに驚くと思います。ほとんど知らないのです。
ですから、こちらから教えてあげましょう。

 どんなに悩んでいるか、ことばではなかなか伝えられないはずですから、日常生活でどもりによりどんなふうに悩んでいるかを日記などに記録しておいて、それを読んでもらうのです。
こころの病気の専門家という立場からできる限りのアドバイスをしてくれると思います。
*、精神科・神経科はにかかるには、大学病院のような大病院にかかると診療時間が短くてゆっくり話ができないし、また、街なかの個人病院の場合には先生と患者が合わなくても先生を替えることができません。

 理想は、中規模の病院で、精神科医が複数いて自分と合わなかったら替えられることと、医師の下に臨床心理士がいてたっぷりと時間をかけてカウンセリングしてくれることです。いまはインターネットでも病院情報はとれますので、悔いのない医者選びをしてください。
先生を替えてばかりもいけませんが、自分とは合わないな、とか、信用できないな、と感じたら、早めに先生や病院を替える決断も必要です。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中