親しい人の前で思いっきりどもれるか (再掲載一部改編:初掲載2007年12月14日)

 親しい人(例えば、家族、友達、職場の同僚、恋人・・)の前で思いっきりどもれるでしょうか?

 「そんなことを言われても、私のどもりは結構重いのでいつもどもっています」、と言いたくなる方もおられるかもしれませんが、
そういうことではなくて、親しい人の前で、「どもってはいけない、どもったら迷惑をかけるし恥ずかしい」という気持ちを持たずに、「大いにどもりながら話すことができるか?」ということなのです 。

 ためらいなく、思いっきりどもりながら話せる方は限りなくゼロに近いのではないかと思います。

 私の場合は、他人の前よりも家族の前で話すときのほうが抵抗感がありました。

 子供の頃どもり出したときから、家庭内では、「どもってはいけない、どもりは恥ずかしいことだ」ということを言われ続けてきましたから、余計そのように感じられるのかもしれません。

 どもりの人を取り巻く人々を考えてみたときに、親などの家族、学校の同級生や先生、職場の同僚など、吃音者の周辺にいる人々が皆、「どもる人の気持ちを心からわかってくれて気を遣って配慮してくれる」という環境は、まず望めないと思います。

 (どもりの重さによってかなり違いますが)他人から笑われたり注意されたり、お節介のようなアドバイスをされたり、会社を(事実上の)クビになったり、正直のところ、かなりつらい場面に出くわし続けるでしょう。

 そのような環境下で、「自分のどもりを気にしない」、「どもったまま生きていこう」などと、ある時点で理性的に決意をしそれを計画的に実行できるほど人間の心理は単純なものではありません。

 小さな頃より、自分のどもりをさらけ出して話せる環境がどこかにあることが必要です。
 先程書いたことと矛盾しているようですが、人間関係が家族かせいぜい少数の友達に限定されている小学校入学後数年間くらいまでの時期に、自分のどもることを「規制をかけるような感情を持たずに」話せる場所があれば(家族が作ってあげることができれば)、

たとえその子供の吃音が自然治癒しなくても、その子の人生に占める「どもり」のマイナス感が大きくかわってきます。
 逆の対応をすれば、些細などもりをも気にするような子供になってしまいます。 (私がその例です)

 どもる人に対しては、まわりの人は実に様々な反応をします。(嘲笑、同情、拒絶など)
 子供の頃より、安心してどもれる場所や時間がどこかにあるような環境で過ごせれば、まわりの人の様々な反応に対する「耐性」を身につけることができるでしょう。

 もちろん、無理にでも頑張ってそのようにするということではなくて、
「こころやことばのプロ」、それも、高度に訓練された、精神科医、臨床心理士、臨床発達心理士、言語聴覚士などのバックアップのもとで行うべきことはいうまでもないことです。

 しかし、そのような「訓練された専門家」は数えるほどしかいない(事実上ゼロに近い?)のが日本の現状ですから、吃音者自身がもっと大きな声をあげて訴えていかないと、いままでの四十年間がそうであったように、今後も事態が改善されないまま時間だけが無為に過ぎていくでしょう。

 できるところからで良いので、声を上げていきましょう。

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