吃音とそれに耐える心の閾値(しきいち)について(再掲載一部改編:2007年10月7日)

 いつも書いていますが、どもる人は、第三者から見ても「どもり」だとはっきりとわかる症状の「重い人」から、ほとんどわからないような軽い人までいます。

 しかし、「重い=大きく悩んでいる」という図式ではなくて、傍から見るとほとんどわからないような「軽い人」が、実は自殺を意識するほど悩んでいたりするような不思議な障害です。

 それはどもらない人から見れば理解しがたいかもしれませんが、同じどもる人の間でも理解されない場合があります。

 2~3歳に始まることが多いとされるどもりは、その半数以上が就学年齢までに自然治癒されるということです?が、(この割合も調査によっては幅があります)、私のように(不幸にして)それ以降に持ち越すと、人生にいろいろな次元で影響を与えます。

 ある人には耐えがたい苦痛を与えるかもしれませんが、また、ある人はどもる経験から自分の人生がかえって豊かになったと感じられている人までおられます。
どもりが耐えがたい苦痛になるかどうかは、心の閾値(しきいち)によってきまるのではないでしょうか。
*大前提として、どもりの重さの違いという大きな問題があることを忘れてはなりません。重いどもりが人生に与える影響は軽い人のそれとは比較になりません。

 それは、「打たれ強さ」などという簡単なものではなくて、どもりの客観的な重さや、小さなころよりどもりっている自分が、家族のなかでどもったままで受け入れられていたかということ、
 また、自分の人生にはっきりとした目標があり、それを実現するのに自分のどもりがどこまで影響するかなど、いろいろな条件があって、その人のどもりに耐える心の閾値を作っているように思います。

 もっとも、「どもりに耐えていく」という発想そのものが、ネガティブな考え方なのかもしれませんが、それ以上に大切なことは、弱音を吐ける環境(友人、専門家、家族など)があることではないでしょうか。

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