「生活者の吃音」について考えてみます(再掲載一部改編:2006年9月8日)

 今回は、「生活者のどもり」について考えてみます。 俗っぽく書くと、「民間の会社員のどもり」とでも書きましょうか。
*「民間企業の会社員」は生活者の一部分です。
 
 なぜ、「民間の会社員」としたかというと、公務員はその地位がしっかりと保証されていますので、「本人の内面の苦しみ」はともかく、どもりではクビにはなりませんが、民間では、その仕事にある程度以上影響が出るどもりがあれば(実質的に)首になります。(結果的に会社にいられなくなるということです)
*このブログを書いた2006年当時よりも世の中はさらに厳しくなっています。新卒の大学生でも民間の会社員(正社員)になれない人も多くなっているようです。

 大企業であれば組合があり言葉を使わない部署への配置転換という方法もありますが、中小零細企業ではそれもなかなか厳しいですね。そしてこの就職難です。

 大多数の「普通の会社員」は毎日、ルーチーンワークをこなしています。
営業マンであれば売り上げをさらに上げることを要求されますし、総務・経理であれば、より効率的に・正確に仕事を処理することを要求されます。民間企業は、お金をもうけてナンボですから、これはたりまえのことです。

 ですから、お客さんになかなか電話ができない、かける前・とる前に躊躇してしまう。
 簡単な内容でも(30秒で言えるくらいのものが)3分もかかってしまうようでは、会社としても困るでしょうし、なによりもそのような場にいなければならない本人は毎日が「針のむしろ」です。

 しかし、自分と家族を支えて生きていくためには一定以上のお金を継続的に稼がなければならないので、今いる(いられる)職場で毎日を耐え忍んで生きています。
こんな人たちが苦しみの果てに耐え切れず駆け込むのが、ネットで調べた「民間の矯正所」や「セルフヘルプグループ」です。

 「どもりは治る」と標榜している民間の矯正所に高額のお金を払い、忙しい毎日のなかでもなんとか時間をやりくりして通ってみる。(半信半疑だがほのかな期待を持って)
しかし、しばらく通っても治らない、そして落胆・・・・・・
 彼らのような人に限って、「治らないならお金を返せ」ということができない人が多いのです。

 そして、どんな「治療」でも、通い始めた当初は心理的な安心感から吃音の症状が一時的によくなることがあるのです。これも問題を複雑にしています。
 セルフヘルプグループに入ったとしても、現実のなかでいやというほど痛めつけられてきた彼らの切羽詰っている「緊急性」と、 グループの例えば「どもりと仲良くしよう」とか「受け入れていこう」という考えかたやそれにもとづいた各種行事は、本来は間違っていない考え方ではあるかもしれませんが、彼の「今、直したい、できるだけ早くよくなりたい」という欲求とはスピード感が合わず、また、グループ側のいま悩んでいる人の心を受け止める感性がやや鈍いことも場合によってはあり、うまくシンクロしないことがあります。
 その場合は、彼はグループから離れていくことになります。
 このあたりに、どもりでいま悩んでいる人と、どもりに取り組む色々な立場の人がまとまりきれない、ひとつの大きな力となってどもりという問題に取り組めない原因のひとつがあるように思います。

 長年どもりで苦労してその果てに自分なりの「悟り」のような境地に達して、結果としてどもりが改善されたり、どもりの症状は大きく改善されなくても社会のなかでそれなりの役割を果たしてこられた方は それなりの自負心を持っておられることが多く、「どもり克服」の方法論も自分なりの「信念」に基づいてできあがっています。
(自分の心のなかではどんな理論があっても良いのですが、それを公にするときは科学的・学問的なフィルターにかけてからでないと、それはその人の思い込みでしかなく、いま悩んでいてわらをもつかむ思いの人を迷わせたり傷つける危険性があります。)

 昭和の終わり頃までの民間の吃音矯正所の経営者は、そのような苦労、自分なりの経験を経て問題意識を持ち、はじめられた方が大多数でした。
 現在では、言語聴覚士のように、専門領域を学校(専門学校・大学・大学院)で学び実習、試験を経て資格を取得した方が吃音に携わっている場合もあります。
しかし、公立学校に設置されている「言葉の教室」先生は、上記の言語聴覚士ではなく学校の先生が携われていることが多いようです。

 そして、セルフヘルプグループの存在。
 かつて民間の矯正所に集った人たちが、一生懸命に発音練習・スピーチ練習をしてもなかなか治らないことから、しかし、かつての矯正所はどもりの人たちの連帯がはかりやすく、和気あいあいとした雰囲気のなかで仲間を増やして後にセルフヘルプグループへと発展していくのです。

 いままで書いてきたようないろいろな立場にいる方のそれぞれの考えかたや哲学が並存していて場合によっては批判しあうという、なんとも非生産的な状況がここ何十年も続いています。
 「治る」、「治らない」という議論ではなくて、それぞれのどもりの人の置かれている心理的・経済的状況において、結果的に少しでも楽になれる、自分の生活がスムーズになるという目標の下に、今後の吃音者対策は行なっていきたいものです。

 自分の経験則から発言していた方は、いまいちど学問的なフィルターにかけてみる。
学問的(心理学・言語病理学)な立場からアプローチしている場合には、もっと多くのどもりの人や経験者など「市井の人」から、その体験を共感的態度を持って聞き、柔軟かつプラクティカルに考えていく必要があると思います。

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