自分の経験のみで「吃音」を判断し語ることの危うさ。そして今後のあるべき姿は・・・

 Windows95の発売をインターネットの一般化のときとすると、既に15年が過ぎています。
日本語で書かれたどもりに関するサイトがいろいろと出てきたのが90年代の末くらいからでしょうか。

 それまでは、図書館で吃音について書かれた書籍を数冊見つけるのがやっとという感じでしかから、インターネットの一般化、そして、ネット上で吃音者による経験談が読めるようになったことは革命的な変化といっても良いと思います。情報量は雲泥の差です。

 それらのことは基本的には良いことだと思いますが、問題点としては、吃音(経験者)による自分の経験のみからの、「どもりとはこういうものだ、こうすれば治る」のような話しが出てきて、それを読んだいま悩んでいる人が判断を間違ってしまう危険性があることです。
 そのなかには無理やりに、言語障害領域や心理領域の専門知識を部分的に持っててこじつけたかのような記述もあり、悩んでいる人をさらに惑わせます。

 一方、専門家といわれる方たちは、現に吃音で困っている人に届くような形の情報発信が極めて弱いのと、発信の内容が、「仕事上で困っている、学校で困っているような吃音者の現実」に対して説得力があまり感じられないのです。
*背景には研究者、臨床に携わる方の絶対的な不足や研究予算の不足、病院でどもりをあつかうことができにくい保険制度があるでしょう。(国や自治体、さらには一般の方々に、吃音問題の深刻さが理解されていないということです)

 それは、両者のうちどちら側が悪いという問題ではなくて、吃音経験者には専門知識が不足していて、専門家側にはどもり吃音者のほんとうのことが分かってもらえていないということではないかと思うのです。

 そこで必要なのは・・・まずは、
 吃音者(児)に関わる様々な専門家と吃音者本人の本格的な交流、そして自由なディスカッションではないでしょうか?
 専門領域の勉強をしたプロが、吃音者という「患者」に、ある意味教えを請うこともあることが「プライドが許さない」という面も出てくるかも知れませんね。でも仕方がありません、「治せない」のですから。

 そういう次元を超えて、まさににプラクティカルにどもり対策を進めていくには、いままでのいきさつはおいておいて、現状を自由闊達に話し合い分析しどもり対策を再構築していくことが必要です。

 話し合う内容は多岐にわたるでしょう。例えば、
★学校の言葉の教室の内容や制度は適切か?
★民間病院や公的病院でのどもりの相談、治療、リハビリはどうあるべきか?
★吃音者やどもりのセルフヘルプグループと専門家の交流をどのようにはかっていくか?
その他いろいろあると思います。

*私も経験し国民病とまでいわれている「うつ病」にも同じような問題があるように思います。

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