吃音についてプラクティカル(現実に即して)に考える必要性と今後のあるべきサポートの姿は

 明けましておめでとうございます。

*私にとってのお正月の思い出は、「あと何日かでまた学校が始まってしまう。始まるとまた授業時間毎にいつ当てられるかとおびえる日々を送らなければならない」と思うカウントダウンの日々でもありました。

 さて、このブログの副題でもある、「どもりについてプラクティカルに考えることの必要性」は今後、ますます大きくなっていくように思います。
いまの社会の様々な状況が、そのようにせざるを得ない方向にますます動かしているように思います。

★いまの社会状況のなかで、ある程度以上の重さの吃音者はどのような生きづらさに直面しているのか?
*ある程度以上の重さとは、単に第三者から見た症状の重さだけを言うのではなくて、傍から見た重さや症状が軽くても、本人が苦しみ日常生活に支障を来していればそれは重いどもりとなります。

 いまさらいうまでもないことですが、経済のグローバル化のなかで日本の社会はここ20年で大きく変質しました。

 20世紀末までの日本を支えていた日本の世界的企業は軒並み没落しています。そして、国内において、道路や新幹線ができる、その後に工場や会社ができ安定した雇用が生まれる・・・などというとっくに破綻した20世紀までのモデルをまだ求めるフシがあること自体驚きですが、
そのような現実の中で障害のない人でも学校を出ても正社員としての仕事がなかなかないという現実を考えると・・・、

 それでは、「挨拶すらうまくできない、名前もなかなか言えない」という、ある程度以上の重さの吃音者にとっては極めて厳しい世の中であることを正面から見据えてどもりについて考えないと、いくら哲学的な思索にふけったところで、まさにそれは机上の空論となってしまいます。
 いまどもりで苦しんでいて、「学校に行けなくなってしまった」、「なかなか仕事に就けない」というリアルな状況を背負った人の気持ちとの距離が開くばかりです。

そういう現実を踏まえて、

★吃音者自身と周りにいる家族、友人、同級生や同僚はどのように動いたら良いのか?
★吃音者と向き合う言語聴覚士をはじめとする言葉とこころの専門家はどうしたらよいのか?
年頭に考えます。

★小さな子供の場合(周りにいる人の動き)
 自分から能動的に動くことは難しい年齢です。
ですから親御さんや学校の先生が、いかにどもりで困っている子供の本当の気持ちをくみ取るかというところにかかっているかと思います。
 いつも書いていることですが、せめて家庭の中では自由に(心置きなく)どもらせてあげる。言い直させたり中途半端な矯正などはしないことです。
 そして、学校でどもりで苦労していることや悩んでいることをためらいなく話せるような雰囲気の家庭を作ることが求められます。(甘やかすということではありません。)
 もしも専門家のサポートを受けるならば、児童の心理に詳しい精神科医や臨床心理士、どもりに詳しい言語聴覚士などを足を棒にして見つけることです。
 いじめの問題にも今まで以上に心を配る必要があります。
*どもることを原因としたいじめが存在し、いじめられている場合には十分な学校側のサポートは得られないかもしれないという前提で考えていくべきでしょう。(危機管理の考え方です)

★(小学校高学年)中学生~大学生くらい
 自分でもどもりであることの生きづらさをはっきりと自覚し、かつ、学校では笑われたりいじめを受けることにより、どもりが自分の人生にとって大きな障害であることを否応なく自覚させられる頃です。

 いまでは、ネットにより吃音に関する様々な情報が取れるようになりました。しかし、ほとんどがインチキ情報ですから注意しなければなりません。
 正確な情報を得られるようなサイトを言語聴覚士の団体や学会で(どもりのセルフヘルプグループの協力も得ながら)作るべきです。

 学校に設置されている「ことばの教室」も根本的に見直す必要があるでしょう。
いちばん良いのは学校から切り離した施設とし、学校帰りや休日に気軽に通えるような場所にすべきです。

 そこには、どもりを持った子供の心理と言葉について詳しい専門家を配置して、本人はもとより家族へのサポートやカウンセリングも行ない、家族に問題がある場合は強力な指導が行なえるように権限も付与すべきです。
*言葉やこころの専門家の独りよがりにならないように、スーパーバイザーとして、セルフヘルプグループなどから吃音(経験)者のスタッフを入れる必要があります。
*その施設に集まる小学生から、高校・大学生までが集まって語り合える場も定期的に設けられればすばらしいですね。

 高校、専門学校、大学卒業後は就職となるわけですが、そのあたりをサポートすべく、吃音者OB、言葉やこころの専門家などが定期的に相談会や自身の経験を語る会を設ければ、いまどもりで悩んでいて進路について考えている子供たちの良い指針となるでしょう。

 もう少し大きな話しで言えば、
いまの厳しい企業活動の中では、吃音者という「話すことが苦手な人」が、話すことで勝負していく職域で生きていくこと自体に無理があります。
*私が身をもって体験したところでもあります。
*かつての高度成長期やバブル期の日本ならばともかく、いまの日本の企業は生き残りに必死で、社員はいろいろなことを器用にこなさなければならないのが現実です。

 ですから、子供の頃からの、学校や公的機関その他のサポートのなかで、また、経済政策や社会政策の中で、ある程度以上の重さのどもりを持った人が、「言葉で勝負する、しゃべることが仕事のメイン」とはならない職種にスムーズに就けて自分なりに活躍できるようにサポートするシステムを構築していく必要があります。
*どもることとは関係なく適性の問題もあります。言葉をメインとしないということで吃音者が誰でも農林水産業に就けるか?というとそうではありません。

 もちろん、苦労を承知のうえで、あえて企業のなかでどもらない人たちと競争して行くような生き方もアリですが、大きな障害にあたったときやあたりそうになったときに安心して相談できる経験豊富な言葉とこころの専門家や吃音者OBの存在が重要となってきます。

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