吃音にこだわることは・・・

 こどもの頃からある程度以上の重さのどもりで悩んできた。
*ある程度以上の重さのどもりとは単に第三者から見た重さのみをいうのではなくて、傍から見て軽く見えるどもりでも、本人がそれに悩み人生に大きな影響が出ている場合はそれも「重いどもり」です。

 そのような人は、小学校の頃から(場合によってはもっと前から)どもることによりさまざまな人生のシーンで傷ついてきています。
40代になってからでも子供の頃の傷ついた経験を鮮明におぼえている方がほとんどです。

★学校で授業中に大きくどもってしまい笑われた。
★どもりの真似をされてからかわれた。(場合によっては先生からも・・・)
★自分の名前が言えない、なかなか出てこない
★電話ができない、電話で最初の言葉が出てこない、自分の名前を聞かれるととたんにどもりだしてしまうか、言葉が出てこなくなる・・・などいろいろと思い出すのですが、

 いまの学校を考えると、どもることで格好のいじめの標的にされることも十分に考えられます。(実際に多くいるでしょう。)

 こんな経験をしてきた、している人たちに、「どもりにこだわるな」といってもそれは無理な話です。
*無理にそのように思わそうとすること自体不自然です。

 そこで提案したいのは、「どもりに大いにこだわろう」ということです。

 しかし、そればかりで頭がいっぱいになり他のことに手が着かなくなったり、どもりの悩みからうつ病のなどのこころの病気にならないように、
★自分の悩みをなんでも打ち明けられる友人や、日頃から相談でき身近にいてくれる言葉やこころの専門家をつくり
★同じ悩みを持つ仲間どうしで定期的に集まる機会を作り(セルフヘルプグループ)大いに語り合いいろいろなことにチャレンジしていく。
いま悩んでいること、進学や就職などのことを冷静に考えられるようにしていく必要があります。

 思春期以降においても日常生活に影響が出るくらいの、ある程度以上の重さのどもりをもっている場合には、
高校、専門学校、大学、そして就職、それ以降まで、人生のあらゆるシーンで、その時々の自分のおかれた社会的な位置や自分のこころの状態において、ある程度以上の生きづらさや様々な問題が出てくるなど、常に問題がでてきます。
*どもりでない人と対等か対等以上に社会で活動しようとする場合はなおさらです。

 それらをいかにコントロールしながら人生を良い方向に持っていくか、知力と体力を傾注して頑張っていく必要がありますし、
どもりでやなんでいる人の周りにいる人(家族、友人など)は暖かく見守っていただきたいと思います。
*「どもりの重さの違い」にも十分に配慮する必要があります。

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