吃音者の本当の声は反映されているか?(再掲載:2012年10月23日)

 こどもの頃からどもり持ちだった私が書いているこのブログですが、どもりであることでの「ほんとうの苦労、くやしさ、焦り、後悔・・・」などは、私のつたない文章ではとても表現しきれないなと思いつつも、どもりをよく知らない一般の人に、「どもりとはこんなものでこんなふうに悩んでいるんだ」と分かっていただきたく、

 また、いま、どもりで悩んでいて、でも身近に理解者や相談できる人もいないで精神的に追い詰められている人にとって、何かの情報源になればとも思い書いています。

 私の場合は、どもりはじめたこどもの頃から大卒後引きこもるまでは、自分のどもりについてフランクに話せる人がいませんでした。
家族の理解もありませんでした(家族の理解のないのはどうやら多数派のようです)

 大卒後の引きこもりを経て、20代の後半に民間のどもり矯正所で知り合った同じ悩みを持つ仲間と接してはじめて、同じ悩みを共有する仲間ができ精神的に大きく救われました。
 そうしてなんとか立ち直ることもできて、ハローワークで営業の仕事を見つけて2年遅れの社会人をスタートさせた経歴を持っています。

 当時の仲間とは20年以上の時間をちょうど良い距離を保ちながらお付き合いさせていただいてきました。
*長い時間ですから、なかには、ケンカ別れやなんとなく疎遠になっていく人もいます。でも彼らもどこかで、かつて一緒に悩んだり騒いだりしたことを思い出してくれているのかなとも思っています。

 今回のテーマですが、
吃音者(どもりを持った人の)本当の声はきちんと反映されているのだろうか?
小(中)学校の通級教室のことばの教室にどもりの人が集まるセルフヘルプグループに
いまでも形を変えながら残っている民間のどもり矯正所(のようなものも含む)に
国や地方の行政に

 いまではインターネットが広く普及していますから誰でもどもりについての情報を家にいながらにして得ることができます。
*もちろん玉石混淆ですが・・・。石が圧倒的におおいようで(笑)

 最近気づいたこと、それはどもりのセルフヘルプグループ関係のホームページが相次いでリニューアルされていることです。
造りがきれいになることは見やすくなり良いことですが・・・私にとっては「かなりつまらないもの」となってしまいました。

 (私は直接関わったことがないのですが)言友会というどもりのセルフヘルプグループがあります。
私の学生時代はインターネットが一般に普及する前だったのですが、言友会という名前だけは地域の図書館で読んだ本で知っていました。が、とても敷居の高いところに感じられて行ってみようとは思いませんでした。
 (ネットを使えば情報は簡単に取れ、問い合わせもたやすくできるようになったいまでも、セルフヘルプグループの門をたたくまでには、かなりの葛藤がある方が多いようです。)

 そのリニューアルしたHPをみると、なるほどレイアウトは整然として見やすくはなりました。(街のなかの古くからある洋食屋が大改築し現代的に生まれ変わったような感じです)

 しかし、新しく整然となったことで、かえっていままであった親しみやすさ、気軽さ、自分達で運営しているという雰囲気がなくなったような気がします。(洋食屋のおじちゃんは古い建物の中でこそ生きてくるという感じでしょうか。)

 意見を書き込めるところ、問い合わせのリンクがないのかとしばらく探してしまい、よく見ると、上の方の見えにくいところにかろうじてありました。
数年前までは自由に書き込める掲示板があり、いろいろな意見が飛び交い、言友会とはお付き合いのない私はもっぱら読む方専門でしたが、その内容には考えるところが大でした。
あるとき、激しい意見が飛び交ったときを境に閉められてしまいました。

これにはがっかりしました。
 このときに、むしろこれがチャンスと、掲示板でもめていたことをこの場で終わらせずに、会場を借りてでも大会などを開いて一晩中でも大いに自由闊達に話し合えば・・・
たぶん、ネット上では感情的になっていたかに見えた人も、顔をつきあわせて話してみれば、自由闊達な議論のなかで次第にクールダウンされて、本当の意味での建設的な良い議論がされたのになあ・・と、(部外者ながら)がっかりしたものです。
*実は、内部では、そういう議論がされていたのかもしれませんね。

 もちろん、そういう、なにが出てくるか分からないような激しい議論をするときには、その場をうまくさばける人、間的魅力あふれるリーダーが必要です。
(テレビなどでの討論会で考えてみても、「国難」と言われているいまの日本では、お上品なキャスターが司会をしていたのでは激しい本質的な議論はなかなか期待できないでしょう。 
 田原総一朗さんのような、老練でタブー領域にもあえて入り込むような司会者がさばかないと、本質的な議論など期待できません。なにしろ国難なのですから。)

 いまは私がこどもの頃(昨夜BSで放映されていた3丁目のの夕日は私の世代よりも前ですが、私のこどもの頃はまだあの雰囲気が都市近郊でも残っていました)のような右上がりの時代ではありません。経済も下降して、何よりも人々のこころが萎えてしまっています。
 こんな国難のときは「かっこ」はどうでも良いのです。
 いまが、幕末、太平洋戦争の敗戦後に匹敵する国難ならば、がむしゃらに本気で取り組むときでしょう。

 どもりについても、まさに、同じような状況だと思います。
 本当に困っている深刻な状況にいる人が適切な相談を受けられたり、仲間と巡り会えたり、会合に参加できているのだろうか?、ひとりで悩んで地下に潜ってはいないだろうかと?

 これは、セルフヘルプグループの問題ではなくて、個人単位で情報が発信できるようになったいま、ひとりひとりの吃音者にも突きつけられた問題でもあると思っています。

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