吃音(経験)を美化しないようにすること(再掲載一部改編:初掲載2009年11月)

アキバ いまは無き石丸電気

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いつも書いているように、「どもり」と言っても実に様々です。
「生活や仕事にほとんど影響のないごく軽いどもり」から、「発する言葉ごとに、ことごとくどもるようなどもり」まであり、どもりが人生に与える影響には「天と地」ほどの差があります。

「比較的軽いどもりの人が苦労の末に就職でき仕事で成功した」、とか、
「どもりを持ったまま小学校に通わせていたが、そのうちに治って中学に入る頃には問題なくなった」などの、本人および親御さんの体験談が語られたり・・・
いまではネット上にそれなりの情報量があります。
*インターネットが一般化していなかった90年代半ば過ぎまでは、どもりに関する情報は巷にはほとんどありませんでした。街中の電柱や塀に貼ってある怪しげな民間どもり矯正所の宣伝や漫画雑誌や週刊誌に小さく出ている宣伝広告くらいでしょうか?
近くの図書館に行けばどもりについて書かれた本が数冊見つかりましたが、大学の先生の症例を羅列したような本か、民間のどもり矯正所が出した「HOW TO本」くらいしか見つかりませんでした。

それらの情報(インターネットより得られる情報)は、「参考にもなる」し、場合によっては「今どもりで悩んでいる人の心を傷つける危険性すらある」ということは今まで何回か書いてきました。
*、ヒトの習性として、「それほど重い症状のどもりでなかった(つまり軽かった)方が大変な苦労の末に就職して活躍しているような場合」に仕事が安定してくると、いままでの自分の経験を誰かに伝えたくなってくるのは自然な流れです。
そのようなときに語られる言葉では、「かつての自分のどもりが事実以上に重くなっていたり、苦労話も大きくなっていたりします。」(悪気はない方がほとんどでしょうが・・・)
*、「治ったと言っても良いほど軽くなった」場合には、自分がどもっていたという過去をかくす場合も多いです。しかし、どもりはきっかけさえあれば容易に再発するし悪化もしますので結局はバレルことがありますし、自分では治ったと思っていても、まわりからすればあの人は時々どもると分かっているが気にしていない(自分の仕事に悪影響が出なければ他人のことにかまっていられない)というのがほんとうのところです。

このように、吃音者の(先輩?)のアドバイス(特にしつこい人のは)の内容には、かなりバイアスがかかっていると考えるべきです。

また、大人が主導することの多い吃音者(児)の会合などでも、悩んでいる子供が集まっているところで、自分が子供であった頃は悩み抜いたはずの大人の吃音者が、「どもりを経験して良かった」、または、それに近いような発言をすることもありますね。
「自分が子供の頃に同じような言葉を聞いたらどのように思っただろうか?」という想像を働かせて注意しながら話してもらえば、いま悩んでいる子供にも説得力のあるリアリティーのある言葉になると思いますが・・・

どもりで大きく悩んでいる子供でも十分なサポートを受けられているような子供ならば(極めて少数でしょう)、比較的余裕を持って大人の言葉を聞くことができるかもしれませんが、親の理解もなく、学校ではどもるたびに笑われたり、いじめられていたらどうでしょうか?

サポートする側である親、先生、などは、子供の気持ちになって(子供目線で)考えることが必要です。
*大人の吃音者の場合でも、いままさに困っている「わらをもつかむ思いの吃音者」には、吃音者OBや、まだどもっていても生活がそれなりに落ち着いている人のアドバイスはリアリティーを持って響いてこない場合があると考えるべきです。

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