吃音で悩み苦しんでいる人の立場で考える・接する(センシティブなこころで接する)

新宿御苑と高層ビル群

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私たちが病気になったり健康診断で医師にかかると実にいろいろな先生に出会います。
*こどもの頃から数えてみると結構な数の医師にお世話になっています。

小さな個人病院の医者から、総合病院や大学病院の先生までいろいろな医師がいます。
権威を振りかざすような町医者もいれば、その領域の権威と言われている大病院の先生におそるおそるかかってみると実に庶民的でやさしかったりする・・・、思うところ大ですね。

しかし、重い病気で手術を必要としている場合には、感じのよい先生でも手術の下手な先生よりも、感じが悪い先生でも、「この先生にまかせておけば、進んだこの病気でも生き残る可能性が高まる!」という先生のほうにかかりますね。それはズバリ「治るから・生き残れるから」です!

なんでそんな話から入ったかというと・・・
どもりの場合は、ことばの教室の先生、言語聴覚士、臨床心理士などの専門家といわれる方が、(特に学齢期を過ぎた吃音者の場合には)治す方法を持ち合わせていないので、医療やリハビリテーションの技術よりも、むしろ、クライアントにどのように接するかという「人間的なところところ」が大きく問われて来るのです。
*「ユーザーサイド」ということばありますが、この場合は、「クライアントサイド」にどこまでたてるかということになります。
*それでは学齢期以前のどもり、2~3歳頃にはじまって小学校に入る頃までのどもりを確実に治すことができるのか? 自然治癒の確率が高い?とされているこの時期に、「自然治癒なのか」、「治療やリハビリの結果なのか」をどのように切り分けるのか?
*学齢期以前なら治せる確率が高まるとしても、それでは学齢期以前に、どもったこどもを確実に見つけ出してどもりに精通した医師や言語聴覚士のところに案内できる仕組みができているのか? 作る気があるのか?

いくら学術的な知識があっても、クライアントとこころを通じ合うような術が少ない専門家には、吃音者は拒否反応を示すでしょう。(吃音児(者)は簡単に見透かします。)
反対に、学術的な知識や資格を持っていない人でも、人間性や接し方次第では吃音者に勇気や安らぎを与えて、結果として吃音が良い方向に進むこともあるでしょう。
*このことがあるので民間のどもり矯正所がなくならないのです、自らがどもりで辛酸をなめた人間味あふれる方が主催する教室が一定の評価を得てきたのはこのことからです。
*元暴走族であった方が主催されている施設で非行少年少女が更生されていく事例が頭に浮かんできます。(指導者が同じ経験者としての圧倒的な存在感ですね。)

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