不器用にどもりと戦ったり共存しながら生きることにより見えてくる景色もあるが・・・しかし、いまは21世紀(再掲載一部改編:初掲載2008年4月)

ある程度以上の重さのどもりを持ちながら生きる人生は、「スマートな生き方」からはかけ離れたものになります。

学校でも職場でも、また、友達といるときでも、ドラマに出てくるようにかっこいい言葉をタイムリーに発することはできないし。(まあ、そんなことはどうでも良いですね・・・)
そんな夢のようなことは考えなくて現実を考えても、なにしろ自己紹介や電話での最初の一言(自分の名前)が出てこないのですから・・・・・日常を生きる上での深刻な問題なのです。

私は、いま、人にものを教える仕事をしています。
部屋の中で大勢の生徒さんを相手に話すことにはほとんど不便を感じません。
しゃべりっぱなしですから、しゃべりすぎて口が回らなくはなることはありますが・・・・
たとえ大きな会場で講演会をしろと言われて問題なくこなせるでしょう。

とは言っても、生徒さんにアンケートをとると「先生はどもることがあるが気にならない」などと書いてあることがあります。
「自分ではどもっていないつもりでもやはりどもっているんだな」と少し安心します。
*こんな、いまの私を、「先生に指名されて教科書を読まされるのが怖くて震えていた少年の頃の私」が見たら、驚いてひっくり返ってしまうと思います。それだけ、少年の頃から思春期(前期・後期)にかけての私の人生をどもりが狂わせてくれたと思います。ほんとうに余計な苦労でしたし、苦労です。

それでは、今、どもりは治ったか、というと、そうではありません。
以前、メーカーの営業マンとして開発営業の仕事に従事しているときはかなり良くなったと思っていた電話が、今はまた、大変に苦手なのです。
特に、最初に言うべき自分の名前がなかなか言えないのです。

理由は簡単で、かつては1日何十本とあたりまえのようにかけていた(かけさせられていた)仕事上の電話を、いまではほとんどかけることがなくなったからです。
*いままさに悩んでいる吃音者にとってはこんな問題もあるように思います。それは、仕事によっては電話による音声通信ではなくてメールなどによる情報交換で事足りるようになったことが、吃音者が「(半ば強制的にでも)電話をさせられて・・・結果として電話になれたり、場合によっては吃音そのものが改善されるというチャンス」を奪ってしまったという一面もあります。

私は大卒後も就職できなかった(ほんとうは「就職しなかった」が正しいでしょう=言葉を使う仕事を選ばなければ仕事自体には就けたはずですね)ことから引きこもり状態となり、2年ほど、なんとも言えない苦しい空白の時期を経て民間のどもり矯正所に通いました。
そこでは、幸運にも同じ悩みを持つ同年代を中心とした複数の友人を得ることができて次第に元気になり、少し自信が出てきたところで職安に通いだして、小さな会社の営業の仕事を見つけました。

その会社の面接では、いままでの事情を素直に話して何とか入れてもらった私。
その後、さらに自信を得て大手の会社に転職もできましたが、話はそれで終わりではありません。
実はそれからが本当のどもりとの格闘の日々となったのです。
*顛末は過去の書き込みに詳しく書いています。

営業ですから、否応なく毎日、数え切れないほどの電話をしました。(しないわけにはいきませんね。これが学生時代との決定的な違いです。)
最初は大いにどもりながらの、ボロボロの電話でしたが、次第に慣れてきてまわりから褒められるくらいの営業電話術まで至ったのですが・・・
その仕事をしているときでさえ、今日は言葉の調子が悪いので大事な電話を明日にまわそうとか、電話でのしゃべりが危なそうなので直接訪問してしまえということもありました。

もしも、また、営業の世界に飛び込むこととなれば、あたりまえのように電話をかけたり、ちょっと無理な交渉をするようになるわけですから、たぶん昔と同じくらいにはできるようになるのでしょうが、結局はいままでの繰り返しなのです。それに気づいたのが30代の半ばの頃です。

繰り返しとは、
最初はどもりどもりで同僚や先輩に迷惑をかけつつ・・・、しかし、徐々に自信をつけて言葉も徐々に流ちょうになり活躍できるようになる。
でも、所詮、吃音者。ある日突然どもりが悪化して仕事に支障が出てくると、坂から転げ落ちるように悪化してきて元の木阿弥。

それでも、私のような比較的軽い吃音者は、経験を積んでいくうちに、なんとか電話やビジネストークができるようになる場合があるのですが、
いくら経験を積んでも軽くならないどころか、どもることにより仕事上の大きな失敗をして責められて生きる自信すらなくしてしまう場合もありますので、自分や自分の周りにいる少数の友人の吃音経験だけで考えることは大変に危険です。
*私を比較的軽い吃音者と書いていますが、それでは私より重い吃音者というのはどういうイメージかというと、家庭内や友人との日常の何気ない会話でも常にどもり、日常のコミュニケーションに支障を来すことです。

アメリカの高名な言語病理学者の「吃音者は一生吃音者である・・・・」というようなことばがあったように記憶していますが、
どもりが、いわゆる心の問題だけではなくて器質的な問題(つまり脳に問題がある)によると自分なりに結論付けているのはその辺のところからです。

たとえば、どもりを持っているAさんが長年の努力の末、ビジネス上の電話もほぼ大丈夫になったとしましょう。
「私はもう治った」ということで自信を得て、セルフヘルプグループなどのどもりの人の集まりに参加しては教訓をたれているとします。

しかし、今は雇用流動化の時代。
ある時、いままでいた会社の関連会社に移ったAさんは、自分のことを全く知らない同僚ばかりのあたらしい環境で、顧客まわりをはじめます。
いままでは比較的固定された顧客との電話連絡や交渉に明け暮れていれば良かったのが、今度は新規開拓営業の最前線。
この不況下で同業他社の顧客に食い込んでいくような仕事の責任者になり、毎日のように全く知らない会社に電話をしアポイントをとって訪問し自社の製品に切り替えてもらうような・・・・・・そのような仕事についたらどうでしょう。

治っていたはずのどもりが大復活・・・・・というか、電話を見るのも怖くなってしまうかもしれないし、うつ病になり会社を辞めることになってしまうかもしれません。(もちろん、なんとか乗り切って、さらに自信をつけるかもしれません。)

このように、不器用にいろいろとぶつかりながらも努力した先に見えてくるものもありますが、こんな吃音者の生き方はいかにも20世紀的ですね。
そして、心しておかなければいけないのは、重いどもりを持つ人の苦労は私などの比ではないということです。

今は21世紀。そろそろ、そういう生き方をしなくてもよいようにしたいものです。いや、していきましょう。

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