「吃音」よりもつらいことはたくさんある(が) (再掲載一部改編:2005年2月23日)

「どもりよりもつらいことはたくさんあるよ、世界には今日のご飯もまともに食べられない人がたくさん(こちらの方が多数派でしょう)いる。戦争に巻き込まれて肉親を失った子供もたくさんいるよ。それから思えば、どもり、なんてたいしたことない・・・・・」

なぐさめるために言ったとします。なるほどそうですね。

でも、吃音を持った人は、今の自分を取り巻く環境のなかでどもりとたたかっているのであり、苦しんでいるのです。
言葉は、職場や学校で、電話で、友人、恋人・・・・およそこの世に生きている限りあらゆる場所でのコミュニケーション手段ですね。

学校のなかでは、ほぼ同じメンバーで毎日小さな教室の中で生活し、ある程度以上のどもりを持っていればそのどもりを授業中や休み時間に披露し続けることとなります。私がいた昭和の時代の学校でさえも、笑われたり真似されたりと恥ずかしい屈辱的な思いをすることは度々でしたが、平成のいまでは深刻ないじめの対象になっていることもあるでしょう。心配です。

社会人になれば(引きこもりにならないかぎり)、自分とは違う年齢や立場の人に接する機会が格段に増えます。
自分と同年齢でも、すでに社会に出てから時間がたっている人、既婚者、未婚者、異業種の人など、学校のなかにいたときとは比較にならないほどの刺激を受けます。
自分では考えられないような過酷な人生を黙々と生きている人にも接することもあるかと思います。
そのような経験をするなかで、少しずつ吃音を鳥瞰図的に見ることができるようになってきます。

なにしろ、お金を稼がなければ生きていけないわけですから、吃音者はそれぞれの吃音の重さに応じて自分なりに職業選択をして生きていたざるを得ない状況になるわけです。
*どうしても仕事に就けずに、また就いた仕事に適応できずにやめざるを得ない場合もあります。次の道が見つからずに落ち込んだり、悩み抜いて引きこもってしまう場合もあり、こういう、本来はいちばん援助されるべき吃音者へのしっかりとしたサポートは事実上ありません。)

(医療が吃音を治せない、思春期以降の吃音者に対する公的なサポートがない)という現時点では、「開き直って人生を進めていく形」を、不本意ですが、「吃音の克服」というのかもしれません。

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