吃音をなんとかしたいという気持ちと、現実には焦るだけで有効な手が打てないもどかしさを感じながらも、心の平衡感覚を失わずに(うつ病などのこころの病気に陥ることなく)生きるようにすること(再掲載一部改編:初掲載2008年2月)

いつも書いているように、どもりには様々な「違い」があります。
*どもりの重さの違いや吃音者を取り巻く環境(特にこどもの頃の)の違いにこだわるのは、どもりを類型化して差別しようと言うことではなくて、現実的に、そして、できるだけ論理的な考え方ができるブログにしたいからです。

重いどもりと軽いどもり。(これも客観的にみたものと主観的なものがあります)
「授業中に先生に指名されても、しゃべる言葉がことごとくどもる。職場で電話を取ってもしどろもどろになってしまい用件をうまく話すことができない」ようなくらいのどもりから、
「本人は、私はどもりでとても困っている、と訴えるが、まわりの人からみると、よほど注意して聞かないとわからないくらい」のどもりまで、
そして、そのどもりも、時間の経過や人生の大きな変化の中で、症状そのものや自分のどもりに対する考え方も、ダイナミックに変化していく場合もいくらでもあります。

子供の頃はかなりどもっっていた方が、青年期になってかなり流ちょうなしゃべり方になる場合もあるし、子供の頃と同じようにどもっている場合もあります。(前者が、ある訓練をしたからそうなって、後者が訓練をサボっていたからそうなったなどという単純な問題ではないことはおわかりのことと思います。)

また、まわりの人が注意深く聞いてもなかなかそれとわからないような軽いどもりでも、本人は自殺を考えるほど深刻に悩んでいて、学校を卒業しても就職できない(しない)場合もあれば、
はっきりわかるようなどもりを持っていても、はつらつと自分らしい充実した人生を送っている方もいらっしゃいます。(でも、そういう人は少ないかな・・・)

ところで、
自分のどもりをなんとかしたい・・「軽くしたい」「できれば治したい」などと思うのは素直な心の動きです。
仕事についていえば、たとえば、
ある程度の重いどもりのために不本意ながら通っている現在の職場で悶々とした毎日を過ごしている場合などは、「本当の私はこんなモンじゃない。どもりが治れば(軽くなれば)もっと大きな会社でばりばりと活躍できる!」と思っている方も多いでしょう。
そのような方は「治したい」と思うでしょうし、自分なりにいろいろと情報収集してトライしているかもしれませんね。

しかし、精神科医、言語聴覚士、民間のどもり矯正所などに一生懸命に通っても、セルフヘルプグループなどのいろなところで頑張ってみても、自分が思い描いていたようにすぱっと、絵に描いたようにどもりなおることはほとんどの場合ありません。

「自分なりの努力が、結果として直線的に表れてこないという人生の大きな壁」にぶち当たるわけです。 (人生をある程度の歳まで生きてくると、努力の結果がそのまま現れないことがいくらでもあり、むしろ思いのままにならないことの方が圧倒的に多いことに気がつきますが、思春期後半くらいまでの若い時には、そのようなことはなかなか受け入れられないようですね。私もそうでした。)

そのような事態に陥ってから人生を設計しなおし、どうやって充実した自分らしい人生を送っていけるようにするかが、思春期後期から青年期くらいのある程度より重いどもりを持った人の課題ではないでしょうか。

そして、いまの生きにくい世の中でそれを行なうには、自分ひとりの力では難しいでしょう。
ときには、強い味方になってくれるアドバイザーとしての、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などが必要です。
*、我々が、そういう専門家を育てていかなくてはいけません。

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