ある程度以上の重さの吃音を持ちながら現実と対峙し生きていくこと(その2)吃音を持ったままの小学生は

鎌倉 権五郎神社

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どもりを持った状態で小学校へ入学した場合、それも授業中に指名されて発表するときや教科書をひとりで読むときに、休み時間に友達と話すときも・・・
「最初のことばがなかなか出てこない(ブロッキング)」
「同じことばを繰り返す(ぼぼぼくは)」
「意味のないことばを発してからでないと本来発したいことばが出てこない」
などの症状がある場合は、次第に自分がどもりという言語障害を持っているとこを意識せざるを得ない状態になってきます。

それは、どもる度に
「友達から笑われる」、「真似をされる」、「先生からも『ゆっくりと落ち着いてしゃべりなさい』などと注意される」
・・・こんな毎日の繰り返しから、自分がどもりであることを否応なく意識させられるのです。

どもらない人から見れば、「ことばがつっかえる」くらいの意識しかないでしょうが、しゃべることが怖くなるのです。
「次のことばが出るだろうか」「またどもって笑われるだろうか」と・・・

私の経験をいえば、小学校高学年の頃のことでいまでもはっきりと思えているのですが、
担任の先生が発表の順番と教科書を読む順番を決めるために小さな棒を2本用意してその棒を持っている人が次の順番という約束事がありました。
例えば土曜日にその棒が私のところにまわってくる。
土曜日中はなんとか発表しなくて済んだ・・・助かった。(土曜も午前中だけ学校がありました。今もあった方が良いのでは?)
しかし、日曜日の夜は超ブルーです。「明日、発表しなければならない、教科書を読まなければならない」「またドモルだろう、いっそ死んでしまいたい」

いまの小学生がどもることで、私の頃とは比較にならないような陰湿ないじめを受けていたら、どれほど苦しいだろうかと心配しています。

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