「さまざまな立場からの吃音論」をお互いに認め合う必要性(再掲載一部改編:2007年1月)

 どもりについて考えるときにその人がどのような(客観的・主観的)状況にあるのかによって、どもりに対する考え方や対処法は大きく異なってくると思います。

 いろいろな考え方の吃音者がいることを認めて、お互いに学習しあうことが必要です。
違う立場のどもりを知ることは、実は、自分のどもりを深く知る上でも大きな助けとなるものです。

 ネット上の(どもり本人、・ST・言語病理学者・臨床心理士などの治療者側)どもりに対する書き込みを見るだけでも、また、さまざまなセルフヘルプグループの書き込みを見ても、 「治療を目指しているもの」、また、「吃音と同居しながら生きて行こうとするもの」・・・・など、いろいろな考え方がみられます。

 たとえば、比較的(客観的な症状が)軽く、どもりでない人と同じレベルで言葉を駆使することを要求される仕事に従事している場合は、どもりの仲間うちでは恵まれた状況(軽い)と思われがちですが、日々の仕事のなかでは常に精神的にもぎりぎりの状況に置かれていることはまれではありません。
 彼らは、熾烈な競争が展開されている職場で自分が生きていくために、いつも「あともう一歩」のところで歯がゆい思いをし、しかし、なかなかそれをクリアーできません。
 そういう想いを日々感じながら生きている・・それもお金を稼いで生きていかないといけないという現実の前では、 「なんとな治そう」、「流暢性を確保しよう」という純粋な想いや、そのための試行錯誤を否定できるものでもありませんね。

 そのような立場の人たちでも、結果的に、どうしてももう一歩のところで苦しい状況が続き仕事が円滑に遂行できなくなり、要求される言語のレベルを下げて、他の職場で活躍する場合もあるでしょうし、 また、言語訓練、心理的なカウンセリングのバックアップで、精神的な修養で、何とか今の職場で乗り切っていく場合もあると思います。
 どもりの人個人の「経済的事情」、「客観的・主観的重症度」、「希望・目標」などによって、どもりの対処法や哲学は違ってよいはずです。

 また、人生という時間軸で考えるときには、それらは大きく変化することも十分ありえます。
 例えばどもりの客観的な症状が大きく緩和される場合もあるだろうし、また、逆に重くなることもあります。
 個人を取り囲む経済的事情も大きく変化することもあるでしょうし、進学・就職・結婚・転居などによっても大きく変わることも考えられます。
 「情熱を内に秘めた冷静な心」を持って、最新のどもりの学問的な研究成果も常に参照しつつ、よりよく生きていきたいものです。

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