新しい吃音者は吃音の素人だから(再掲載一部改編:2011年9月19日)

変なテーマではじめました。
「どもり経験」はその人一代かぎりのもので、現状では残念ながら、世代を通じてその経験や対策が受け継がれていってアップデートされるものではありません。
*、医学的に原因がはっきりと分かり手術や投薬で根治するようになれば話は全く別となります。人類が火星くらいには住んでいそうな27世紀ころ(?)にはそうなるのではないかと思っています。

さて、
根本的な治療法が出ることが全く期待できない現状で、それでも、ある程度より重いどもりを持った人の生活状況(現実の社会で生きやすくするということ)を少しでも改善する方法は、
どもりを持った子供や大人に対して、その人ごとの重さや症状、家族背景、経済状況どを考慮しながらの、吃音者の「こころ」、「生活」、「ことばの状態」をバックアップするための、
「本人と家族の心理カウンセリングシステム」と「重さや症状に合わせた言語訓練システム」の確立です。
どもりを原因として不登校になったり就職できない人のための「吃音者の心理に詳しいコーディネーター」の存在も必要です。
*、これらのシステムがしっかりしたうえで、吃音者の心のよりどころ(サロン)としてのセルフヘルプグループが存在すればよいのだと思います。セルフヘルプのメンバーは、精神科医、臨床心理士、言語聴覚士などが、どもりで悩んでいる子供や大人に対し現実に即して対応できているかを見極めてアドバイスするスーパーバイザーとしても活躍できます。(専門家側はいやがるかもしれませんが)

しかし、現実は相変わらず、30年前、40年前と同じです。
日本では、国家資格者である言語聴覚士で(こどもから大人までの)吃音にスキルの高い方が、街のなかで開業していることなど事実上ありません。
どもりの悩みで追い詰められた人たちは、セルフヘルプグループに参加できれば良い方で、多くはひとりでどうして良いか分からず悩んでいるか、昔から変わりばえしない民間無資格どもり矯正所に通い、あいかわらずの腹式呼吸や、メトロノームにあわせてなどという19世紀的な対処法を受けているのが現状です。
*言語聴覚士の言語クリニックは、子供が通える街の歯医者さんくらいの密度は無理としても、放課後や休日にひとりで通えるくらいの距離にある必要があります)

ことばによるコミュニケーションは、人が生きていく上で最も基本的なところに根ざしています。
ですから、ことばにある程度以上の重さの障害があるということで、劣等感を持ったり恥ずかしさを感じるのはあたりまえのことです。
こころの奥底から出てくる「恥ずかしい」という感情、なんとも言えない劣等感を感じる自分のことを、「考えが甘い」などと責めてみてもしかたがありません。
ひとと同じことができないことに劣等感を持ったり恥ずかしく思うのは当たり前のことです。

職場や仲間内で、常識ある大人ならばどもることを笑ったりからかったりはしませんが、常識ある大人が少ないのが現実の世の中です。
子供の世界に至っては、どもるごとに笑われることは日常茶飯事と考えるべきです。いまの日本の学校では陰湿ないじめに遭うかもしれません。
それらを前提に現実的な対策を講じるべきでしょう。

我々が努力さえすればすぐできる対策もあります。
それはどもりを持った子供のいる家庭のあり方を変えること、それを啓蒙することです。
どもりを持つ子供の心のよりどころであるべき家庭のなかでは、学校でのいやな出来事から解放されて思いっきりくつろげる雰囲気が必要です。(甘やかすということではありません。)
どもりで悩んでいること、本音を、心置きなくはなせるような雰囲気の家庭であることが必要です。
残念ながら、これすらできていないことが多いのが現状です。

多くの場合は親の悪意ではなくて、「親のどもりに対する知識のなさ」と「自分の子供が学校でどれほど困り悩んでいることを知らないこと」から来るものでしょう。
*最近の報道を見ていると学校でのいじめの問題で「同級生や教師の悪意」を感じるものが多いですね。また家庭内での親の不作為や暴力による子供の死も後を絶ちません。

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