吃音:満たされないこころ(私の場合)

木漏れ日吃音者である私のこころのなかには、子供の頃から独特の空虚感といっていいのか・・・常にこころに大きな隙間がありましたし、いまでもあります。

親が言うには私は2~3歳からどもりはじめたようですが、その頃の記憶はありません。
*どもりの友人から、「幼稚園の頃にどもりで悩んで死にたいと思ったことがある」と聞いたことがあります。これには驚きました。

小学校3年生くらいになると、どもるのがイヤで授業で発表するのを躊躇したり、自分の発表の順番が近づいてくると心臓がドキドキ(もちろん悪い意味で!)して、いたたまれなくなったことをはっきりとおぼえています。
文章にするとそれほどでもないように読めてしまうかもしれませんが、子供のこころには耐えがたい苦労の連続でした。自殺も考えましたが、よく、いままで生きてこられたと思います。
*大卒後就職できずに(せずに)いちばん深く悩んだ頃には、「なんであのときに死ななかった(死ねなかった)だろう」と思ったものです。

その後約2年の引きこもりを経て、ハローワークで仕事を見つけて小さな会社の営業マンへ。
そして、ちょっと自信をつけて大手メーカーの営業マンへ転身。
さらに調子に乗って転職して、どもりが悪化して大失敗・・・・といろいろと経験することになるわけですが(過去の書き込みに詳しく書きました)、
ことばの調子が良く完治する方向に進んでいると思えたときでさえ、空虚感がぬぐえなかったのです。

私のようなどちらかと言えば比較的軽い吃音者(何気ない日常会話でも常に意思疎通に支障を来すくらいのどもりではないということ)は、
調子が良いときはどもらない人とほぼ同じようなことばの流暢性を得られますが、調子が悪いときには日常会話レベルでも意思疎通に問題が出ることがあったので(小学生~高校くらいまでは特に重いことが多かったです)、
どもりがすっかりと治り、どもらない自分を想定して将来設計をしたら良いのか?
どもりが治らないままで将来のことを考えれば良いのか?
こころのなかに大きな不安を抱えたままで青春時代をを過ごしたことが、いまに至るまでのこころのなかにある空虚感を作り上げたのだと思います。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中