吃音で苦労することで自信をなくし、自分の能力を必要以上に低く評価してしまう

子供の頃から、ある程度以上の重さのどもりを持っていることで・・・

★電話ができない(怖くて全くかけられない、でられない。でても会話が成立しない。自分の名前が言えない、なかなか出てこない)
★聞かれても自分の名前が言えない(買い物のとき、学校で、家に来客のとき、他)
★学校で指名されても答えられない・なかなかことばが出てこない(授業中、いろいろな行事、委員会活動などで)
★何気ない会話でさえどもってしまうようなところを家族に見られたくないために家庭内でも最小限のことしか話さない(話せない)
のような経験を繰り返していると、

なにかが言えない・・・結果として何かができなくて困るということ以上に、

★自信をなくして卑屈になってしまったり
★どもることだけでなく自分はダメな価値のない人間と思いこんでしまう

こんなことが、自分の子供の頃からいままでの経験からしても、他の吃音者の生き様を見ていても感じられることが多いのです。

学生時代は学生時代で大いに悩みますが、社会人になるとき(就職時)と、なってからの悩みはそれ以上です。遙かに厳しものとなります。
ある程度以上の重さのどもりを持っているということは「社会人として組織で働き自分で稼いで生きていく」ことには大きな障害となります。
*学生時代でも悩みが深刻になれば学業不振になり、さらには引きこもりになります。
*就職についても、自分のどもりの症状や重さを考えて、いわゆる会社(オフィスワーク・営業など)に入るのではなくて、農業・漁業、自営業などいろいろな選択肢があるのですが(就職ではなく就業)、現実には(特に都市部に住んでいる場合は)そこまで柔軟な発想ができないというのが本当のところです。

生きていくために必要なコミュニケーションの分野に障害を持っているということはそれほど大きなことで、しかしその割にはこの吃音という障害が世間に認知されていない
・・・されていても「おっちょこちょい、慌て者、恥ずかしがり屋、内気、小心者」・・・
くらいの認識しか持たれないことが多いので、本当に悩んでいる吃音者の心を追い込んで生きる気力をなくしてしまう。

吃音問題を考えるときには、こんな「吃音者の本当のこと」を見つめ直すことからはじめてみる必要があります。

*いつも書いてますが、軽いどもりと重いどもりでは人生に与える影響が天と地ほど違います。また第三者からみて軽いどもりでも本人は自殺を考えるほど深く悩んでいることがあります。
誰かの経験(「子供の頃はどもっていたが治った」とか、「誰々はどもっていたが、すっかりと良くなっていまでは活躍している」など)を聞きかじって、それをどもりで悩んでる人に言ってもみても、その人にとっては慰められるどころか、心をかき乱されて悩みを深めるだけです。

*参考:「吃音と職業、現実を踏まえた議論をすることの重要性(2012年2月7日、初掲載2009年5月)」

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