吃音が創り出す想い(どもりがこころに及ぼす大きな影響) 再掲載改編:2006年8月

私の心のなかにある複数の感情

どもりでいちばん悩んでいた頃、追い詰められていた頃は、自殺を考えるほど辛かったが、
今になってみると、その辛い経験によって多くの事を学べることができた、人間性が高められた、と、どもりであることに対して感謝することさえある。
自分の人生で、いまさらどもる自分を否定しても意味がないとさえ思える自分。

同じ自分が、またあるときは、
どもりでさえなかったら、もっと多くのことを出来たのに・・・
どもりであることで失った自分の可能性があまりにも大きい・・・どもりを恨むこともあります。

このふたつの想いは、どちらも同じ私の心の中にあり、裏腹の関係にあります。

人生が比較的うまくいっているときは前者の感情が支配していて、
人生がうまくいっていないとき(失業・失恋・などの大きな出来事)は、後者の感情が表面に出てきます。
これらの感情のバランスは、どもりの重症度によっても大きく違うでしょう。
どもることによってどれくらい、日常生活、仕事、学業などがうまくいかなくなっているかということによるでしょう。

しゃべる言葉がことごとくどもるような場合には、毎日の生活がとても苦しいです。とてもきれいごとなど言えません。
そのような症状をもちながらも自分を失わずに生きていくのは(特に思春期は)至難の業ですが、苦しみながらも実にいろいろなことを考えながら生きることになりますので、
ある意味では「禅の修行」のようでもあります。
そのような筆舌に尽くしがたい苦労をすることにより、結果として人間が高められる場合もありますし、そのような例を知っています。

どもりの重さとともに、
どもりの人を囲む家庭環境、学校・職場環境が、自分が自分でいられるための最低ラインをキープしていたかどうか。(それを超えるとうつ病などの心の病気になります。)
また、厳しい環境におかれながらも、自分でそれに耐える耐性(うたれ強さ)があるかどうか?
などによっても大きく異なって来るでしょう。

現在、一部の専門家やセルフヘルプグループ等では、吃音者に対し心理療法(的なもの)による治療を試みることがあります。
ここで注意しなければいけないことは、吃音者の症状や感情は短期的にも長期的にもダイナミックに変化するものなので、
数週間、数ヶ月くらいの短い期間だけで吃音をとらえずに、数年くらいの長い時間をかけてフォローしていかないと、その療法の効果を見間違える危険性があります。

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