「吃音にこだわる」と、「吃音で困る」の違いは(再掲載一部改編:2011年10月)

草津温泉

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どもりに「こだわる」ことをやめて、毎日の生活を優先させて生きていこうという考え方があります。
*、どもりの重さの違い、吃音者が生きている環境(特に子供のときの家庭環境)の違いによって、こだわり方、こだわる度合いも大きく変わってくるでしょう。どもりが人生に与える影響が決定的に違います。

一方、どもりで悩んでいる人(私もそのひとりですが)と食事などをしながら深く話し込んでいくと、どもりに「こだわっている」のではなくて、もっと単純な話しで、どもることで困っている」ということがよく分かります。

おとなの場合で言えは、
どもることで仕事に支障が出て困っている。
就職できないで困っている。(他の能力は十分にあるのに、どもりのために希望する職種に就職できないということも含む)
いまの職場にいられなくなりそうで困っている、(迷惑をかけているという劣等感を含む)
ということなのです。

子供でいえば、
授業中に分かっていることが言えずに困っている。
どもることにより恥ずかしい想いをするので困っている。(陰湿ないじめを受けていることを含む)
死にたいほど悩んでいるのに、家族はその想いを受け止めてくれずに困っている。

つまり、哲学ではなくて生活(生きていくこと)に根ざした問題なのです。
もっとはっきり言えば、
子供でいえば将来(進路)のことで大きな不安を感じているということ。
大人でいえば、人と関わって、話して、働いてお金を稼いで生きていくのに困る、という問題なのです。

どもりが軽くなるか治る、ことばで勝負しない仕事に変える、または、いじめられている学校から転校する、などの、どもることにより困る割合が減っていけば、結果的にどもりにこだわる割合も減っていくでしょう。哲学ではなくて身体感覚なのです。

それを実現するのにはふた通りあるのではないか。
ひとつ目は、自分の生活環境、生活圏を変えることです。
どもりをもっている人たちが独自のコミュティーを作り(解放区のようなもの)そのなかで生きていくことです。
かつて、「○○運動」という名前で独自の人生観を持った人たちが集まって村のようなものを作り集団生活するようなことがあったらしいですが、それに近いかもしれません。

もう一つは、自分を、いま生きている環境やこれから生きていきたい環境に適応させるべく努力することです。
それには、心理カウンセリング(本人、家族)やリハビリテ-ション(言語訓練)を行なうことにより、どもりを少しでも軽くすることがあります。
また、いましている仕事に支障が出ないように、どもりの度合いを低いレベルで維持するように持っていくことと、
自分なりに努力しても、どうしても仕事に支障が出てしまい精神的に耐えられないならば、自分の心と体を守るために、計画的に転職・転業していくことも含まれます。
*、これらがなかなかうまくいかない(どもりの原因が医学的に特定できていない、効果的なリハビリテーションができない、社会的にどもりの苦しさが認知されないのでしっかりとした対策がなされない)から、いまに至るまである程度以上の重さの吃音者は困っているのですが・・・。

今回書いてきたことも、「重さの違い」や「こどもの頃の育った環境の違い」によって大きく変わってきてしまいます。
どもりの問題は、ケース毎にすべて違うものだと考える必要があります。
*、違うからこそ、違いを意識しつつ協同してできることがあるのではないか、と思います。

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