吃音:くやしさをバネにすることの是非(再掲載:2009年9月)

「こどもの頃からどもるたびに笑われてきた。なんとか見返してやりたい。」
「せめて勉強では負けくないので、猛勉強して一流といわれる学校に入った」
どちらもありがちなストーリーではありますが、このくやしさをバネにするという生き方に関しては賛否両論ありますね。
「あるがままの生き方」「がんばらない」を指向している人にとっては受け入れがたい生き方かもしれません。

私はどちらでも良いのではないかと思います。それどころか、もしかしたら、「あるがまま」というのはガムシャラの先にある境地かもしれないとも思います。

私たちがこどものころにもつ想いは、深層心理から近い位置にあるような気がします。生の感情があふれ出しやすいこどものころに、どもるという、ある意味屈辱的な出来事を日常的に経験するなかで、まだ張りのある復元力の大きい若い心は思いっきり突っ張ります。それでいいんじゃないかと思うのです。
*、思春期前期くらいまでの家庭環境(おもに精神的な環境)が劣悪であったり、かなり重いどもりを持っている場合には、子供の頃から「突っ張る」こともできないほど追い詰められている場合もあることも考えておく必要があります。

そのうちに突っ張りきれなくなるのですから。
突っ張れるうちはできだけ突っ張っておいた方が、思春期後期以降に心の復元力がだんだん低下してきたときの心の可動領域が広くとれるような気がするのです。

でも、人間、あまりにも苦労が重なってくるといじけてきます。こころがクサッてきます。
素直な心を持った人も、徐々にひねくれてきて平気でうそをついたり、人を傷つけるようになってきます。そのような人を何人か見てきました。

そうならないようにするには良き友を持つことと、良書に親しむことかもしれません。

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