吃音をどのように分析して人生を良い方向に持って行くか(再掲載:初掲載2008年08月)

再掲載ばかりですが、今の時期に良さそうなものを載せます。
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いまの自分のどもりに対して、どのようにアプローチしていけば良い方向に進んでいけるかを「自分のどもりを分析してみる」ということで考えてみたいと思います。

○、自分のどもりを録音・録画してみること
まずは、自分のどもり方を見たり聞いたりして「どもり」の実態を知るというところからです。
吃音者にとっては、自分がどもっているところを映像や音声により客観的に見たり聞いたりする(させられる)ことはとても勇気のいることです。
映像や音声を皆の前で見せられることはイヤだ!という方が多いのではないかと思います。それほど、「恥ずかしい」、「人には知られたくない」という気持ちが強いのがどもりの特徴です。

それらの感情は、本人の気持ちというよりも、子供の頃からのまわりの人の評価や対応によりできあがってくるものですが、
無理して「気にしない」などと思おうとすること自体、不自然で無理があり、訓練をすることにより効率的に「気にしなくなる」方法などありません。

長い間の苦労(人生経験)を経て良い意味での諦観(あきらめ)の境地に達してはじめて、どもりをあまり気にしないで生きていけるようになる人もらっしゃるのかも知れません。(これも、どもりの重さや置かれた様々な環境によりかなり違ってくると思います。)
*、結果的に、どもりそのものも軽くなる場合もあります。

自分がどもっているところの録画や録音を見たり聞いたりして、「ここまで自分がどもっているとは思わなかった」とショックを受ける方も結構いらっしゃいます。
携帯用の音声レコーダーはますます高性能化小型化してボールペンの形のものまで出ていますしビデオカメラもさらに小型化しメモリーに保存できるものが1万円台から売られていますので、 それらを使えば、どのようにどもっているかを客観的に見たり聞いたりすることができます。

いざ、自分のどもっているところを見たり聞いたりしてみると、「自分がいかにどもるべくしてどもっているか」ということがわかります。
ことばのリズムもテンポも大きく乱れていて、画像を見ると体には入らなくても良いところに力が入りまくっている。

これらは、小さな頃からのつらい経験の繰り返しから自分を守るために無意識下で行われてきた「精一杯の自己防御反応」です。
どのように見たり聞いたりしても、「これじゃあ、どもるだろう」いというような無理な話し方や姿勢をしていることがわかります。

その背景には、次にふれる「症状の背後に潜む心理的な問題」があると思います。
(本当は、公立や私立の病院やそれらに付属するリハビリ施設において、カウンセリング、言語訓練や投薬でどもりを軽くできたり治せたりできれば良いのですが、それができないのが現状です。このあたりは皆さんも(身にしみて)ご承知のことと思います。)

しかし、(矛盾するようですが、)
戦前から続いている民間無資格どもり矯正所の、例えば「音を引きながら発音する」とか「呼吸法を工夫する」などの民間療法で吃音の症状が緩和されるケースも(比較的軽い吃音症状の場合)実際にあり、それにより人生が開けてきた方が大勢いらっしゃるので、どもりの問題をより複雑化させているのです。

○、どもりの症状の背後に潜む心理的な問題
いままでのどもり歴
いままで何年、何十年とどもり続けているわけですから、「どもりたくない」という心の底には、常に、「私は次もどもってしまうに違いない・・・」というような「負の確信」がしっかりとできています。

それらの心の問題に対して行動療法などの心理的なアプローチで対処していくことは、人の話や本を読む限りはいかにも効果的で魅力的ですが、実際にはそれほど簡単ではありませんし、努力の結果が直線的に出てくるものではありません。
*、吃音者に対して心理療法を保険適用で長期にわたって行ってくれるような病院を見つけることは至難の業(事実上ない?)でしょう。大学の先生がサークル的に行っている場合などがありますので、インターネットを使って調べてみると良いと思います。
また、本屋さんや図書館で、大学や研究所などの心理療法の先生の著書に触れて、「この先生ならば」という先生が見つかったら直接に連絡を取り、個人的にお世話になるのも良いのではないかと思います。

柔軟な思考の停止
どもらない第三者が吃音者のどもり方を見たり聞いたりして「こうすれば良いのに」と思うことがあります。

「もう少しゆっくりとしゃべったら」、「しゃべりだしが慌てすぎている」・・・・
などと、第三者から見てみるとよくわかることがあるのです。

時には、それらの言葉にも、耳を貸すことも必要です。
どもりの人は、子供の頃からの言葉では表現できないような苦労が度重なって「意固地」になっている場合があります。
その結果としてどもりに対する考え方が単調になり柔軟性に欠けていて場合があります。
柔軟性に欠けた心には良い考えは浮かびません。
(前提として、どもりの人とアドバイスする側にしっかりとした信頼関係が必要なことはいうまでもありません。)

○、(精神科医・臨床心理士・言語聴覚士などの)既存の「専門家」を使いこなす
国内の精神科医・臨床心理士、そして、いちばんの専門家であるはずの言語聴覚士でさえも、大学や養成校などで、どもりの臨床訓練(特に成人以降の)に割かれる時間はわずかでしょうし、成人については経験がないかも知れません。
また、アメリカのような(組織的な)カウンセリング体制も治療体制もありません。
それでは彼らは役に立たないかというとそんなことはありません。吃音者の方で、彼らを上手に利用すればよいのです。
たとえば、どもりでとことん悩んで「いっそ死んでしまいたい」などと、うつ状態にまでなっているのでしたら、迷わず精神科や神経科を訪ねましょう。
そして、精神科医や臨床心理士に自分の症状や心持ちをできるだけ詳しく説明します。
どもってしまいうまく説明できなければ、日々の思ったことや症状などをノートに書き留めておけば役にたつでしょう。
そうすれば、彼らは「どもりについては知識がなくても」心の専門家ですから、彼らの専門領域からのアプローチでできるだけの援助をしてくれます。

以上のことを踏まえて、さらに、いままで何回か書いてきたように、「小さなセルフヘルプグループ」を立ち上げて仲間でいろいろとトライしてみるのも良いのではないかと思います。

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