吃音者(児)に対する対応を間違えないために、どもりの重さについて考える。(その2:もう少し重い場合は「小学生の頃からのどもり」)

前回からの続きです。

明治神宮から新宿高層ビル群

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もう少し重いどもりになってくるとどうでしょうか?

小学生くらいで、家庭内や友達との何気ない日常会話では、ちょっとはどもるが大きな問題はないくらいでも、
学校の授業中に先生から指名されて答えるときや指名されてひとりで教科書を読むときなどに、定期・不定期に大きくどもってしまうことはよくあります。
最初の言葉がなかなか出てこないような難発性のどもり、また、ことばを繰り返してしまう(例、ぼ、ぼ、ぼくは・・・)ような連発性のどもりが、日常的、または、条件によって(季節、体調etc)はっきりと出てしまうくらいの子供の場合は苦労がより大きくなります。

これくらいの場合は、何気ない日常会話では支障がないことが多いので、家族や先生からは「軽いどもり」と思われてしまいます。
家庭内や友達との日常会話では、どもりそうだったら話すのをやめれば良いですし、特に言葉の調子の悪いときは話すのを控えることができますので、親兄弟や第三者には、その子のどもりがどの程度でどれくらい悩んでいるのかということが全くといって良いほど理解されないのです。

しかし、授業中の発言や教科書のひとりでの音読は、決められた言葉を発さなければいけないのと、クラスメイトが聞いているところで声を出さなければいけないという2つのことから、心理的なプレッシャーも加わって結果的に大きくどもってしまうことになるのでしょう。

こんな日々が繰り返されることは多感な子供には屈辱的な経験でしかなく、ましてやいまの学校のなかの子供どうしの人間関係は20年前30年前のものとは大きく違っていて陰湿ないじめが地下深く潜って行われています。
とてもひとりで解決できる状況ではありません。誰かの心理的なバックアップなしに乗り切っていくことは不可能です。

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