吃音者(児)に対する対応を間違えないためにも、どもりの重さについて考える(その1:軽いどもり)

奈良東大寺二月堂を望む

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吃音者は、どもることによりいろいろな苦労をします。
しかし、その苦労は、どもり重さの違いにより天と地ほどの違いがあります。

その「重さの違い」が吃音者間の無用な軋轢を生み出したり、どもりの子供を持つ親の対応を誤らせたり、自分の学級にどもりの子が入ってきた場合の先生の対応を誤らせる原因となります。

軽いどもりの一例
(軽いどもりと言っても実に様々であることを一応おことわりします。)
たまにある言いにくい言葉(どもってしまうことば)を言い換えることにより対応できるくらいで、あとは問題が出ないような軽い吃音者は、それこそ問題がないように思われるかもしれませんが、こんな例もあります。
第三者から見て饒舌で、とてもどもりなどは思えないような人、でも本人は子供の頃から自殺を考えるほど深刻に悩んでいた。
どうしてかというと、自分の名前を言おうとすると、きまって大きくどもってしまいなかなか出てこないのです。

ちいさな子供は、名前や年齢をを聞かれるのが日課です。
うまく答えられると、「かわいいわね!」とか「お利口さんね」とほめられます。
すると、その子は満足したような笑いで応じます。ごく普通の光景ですね。

しかし、名前を聞かれても答えない、年齢を聞かれても答えないのでは、聞いた方は褒めようがありませんね。
「ちょっと緊張しちゃったかな」などとお茶を濁すほかはありません。

ヒステリックなお母さんだったら、聞いた方が帰ったあとで、自分の子供に「なんで名前を言わなかったの?」と注意するかもしれません。お母さんの面目丸つぶれ、というところでしょうか。

もちろん、その子は名前を言いたくなかったのではなくて言えなかったのです。
小さな頃からこんな経験をしていくと、もしかしたら自然治癒の可能性をなくす方向に持って行ってしまっているかもしれません。
どもりをその症状以上に神経症的なもの(根の深いもの)に深化させてしまっているのかもしれません。
次回に続きます。

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