吃音:肩の力が抜けるということ

東寺暮色

東寺暮色

錦天満宮

錦天満宮

新年を迎えましたが、東日本に住む私にとっては素直におめでとうという言葉は出てきません。
被災地の1日も早い復興を祈ります。

さて
小学生から高校生の頃、どもっていると、先生から「もっと落ち着いてゆっくりと話しなさい」と注意されました。
また、やっとの思いで自力で会社に入り営業マンを始めた頃には、上司から、「もっと肩の力を抜いて落ち着いてしゃべりなさい」ともいわれました。
どもりでない人から見れば、「焦っているからどもる」と思われるのですね。

子供の頃からずっと、どもるたびに恥ずかしい思いをしたり、どもることで仕事ができなかったりということを繰り返しているうちに・・・
話す前に過度の緊張をするように「訓練されて、条件付けられて」しまいます。
*こんな毎日の繰り返しにより、うつ状態やうつ病になっている方も多くおられるでしょう。
*「どもりの重さの違い」「吃音者が成長していく過程の家庭環境」によっても大きく違ってきます。

話を戻します。
「落ち着きなさい」と何度も注意されたりアドバイスされて、
それでは、「落ちつけば良い」、または、「心を強くすればよいのか」と思い、様々な心理療法や精神修養にトライする方がいらっしゃいます。
そういう私もそのなかのひとりで、中学生の頃トライした自律訓練から始まり、学生の頃には禅の修行に本格的に打ち込みました。
それで、症状としてのどもりが治ったかというと、もちろんノーです。
どもりはそれほど簡単な障害ではありません。
それでは全く無意味だったかというと、
禅に関しては禅的なものの考え方、たとえば「こだわらない心を持つ」などという考え方は人生に大きなプラスになりました。心理療法についてもどもることによる悩みで鬱状態に陥っていたので助けとなりました。

人生(仕事やその他個人的なこと)を重ねるにつけて、いろいろな経験をし、そのなかで少しずつ肩の力が抜けていき、どもりを抱えながらも生きていくすべを身につけたり、結果としてどもりの症状が大幅に改善される方もいますが、それは、90年代初め頃までの理屈です。
どもりなどの障害を持たない一般の学生も就職が難しい現在、社会はそういう余裕を与えてくれません。

いままでのような、「苦労して結果としてどもりを乗り越えて・・・」というような経験値に頼るのではなくて、
どもり出した子供の頃から、親も本人も、継続的に相談できるような専門家を養成し、心理的カウンセリング、社会的なバックアップ(いじめ、家庭内での無理解への対処)、また、必要に応じて言語訓練が受けられるようなしっかりとしたシステムの構築を急ぐべきです。
重いどもりを持つ人はその人なりに、軽い人も軽い人なりに、個人個人皆違うのですからひとりひとりのケースごとに対処方法は違います。
いい加減に精神論からは抜け出さなければいけません。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中