吃音者(児)とこころの歪み(再掲載一部改編:2010年2月)

ほんとうは楽しいはずの子供の頃から日常生活や学校生活に明らかに支障があるようなどもりを持ったまま生きている場合には、悩みすぎて苦労しすぎて、子供の心ではその苦労を受け止めきれずに、結果としてこころが歪んでくることはよくあります。(おとなの場合もいくらでもあるでしょう。)
そして、それが、その後の長い人生に、結果として暗い影を落としてしまうことが多いのです。

それでも、まわりの環境が良い場合は救われます。
家族がどもることに理解があり、言葉の問題に過干渉せずに家庭内では安心してどもれるような雰囲気の場合や、
学校においても、どもることによりいじめにあったり笑われたりすることが少ない場合は、比較的こころが歪むことなく素直に生きていけることができるでしょう。

しかし現実には、家庭内ではどもるたびに親から、「ゆっくりしゃべりなさい」、「おちついてしゃべりなさい」と注意を受けるか、言い直しをさせられる。
学校では、同級生から、どもるたびにからかわれたり陰に陽にいじめを受ける、
場合によっては(これは少ないでしょうが)先生からもからかわれることもあります。(悪意はないとしても子供は確実に傷つきます。教育の専門家である教師としては失格です。実は私は経験しました)
世の中が不景気で人の気持ちがささくれ立っていますから余計かもしれません。

このようなことが続いてくると、本人としてはなんと耐えてかがんばろうと努力していても、心の奥底(つまり深層心理)では「疲れ」が蓄積されていきます。蓄積が限度を超えれば心の病気として顕在化し大変なことになります。(どこか、いまの日本の、サラリーマンや先生のうつ病の問題と似ています。)

あたりまえですね。
どもらない同級生はあたりまえのように授業中に教科書を音読し、発表し、友達の家に電話をし・・そんな生活をしているのに、
どもりを持つ子供は、それらの「あたりまえ」のことをする前に、常に恐怖心や恥ずかしさを伴うのですから。
そして肝心な言葉もなかなか出てこない・・・・・・

そんな状況下にある子供の心が追い込まれる背景には、どもりで困っている子供に対する公的なサービス(カウンセリング、治療)が貧弱であることもあるでしょう。
どもりが重いほど、まわりの環境が悪ければ悪いほど、子供の心は追い込まれていくでしょう。
いまの日本は、大震災と不景気、そして政治危機でまさに国難です。
そんな状況では財政出動もままならないでしょうが、最小限の出費でできる対策は、現行の「ことばの教室」の現状を第三者が冷静な目で見直して問題点を整理し、「困っている子供本位の制度」に大胆に改めるというあたりまえのことを実行することです。

たとえば、ことばの教室という学校の制度としてではなく、小学校入学前の幼児から大学生くらいまでの長い間、ひとつのファイルで同じクライアントをフォローできるような施設(言語聴覚士や臨床心理士などの資格保持者が常駐)を街のなかの通いやすいところに通いやすい時間帯に作るのです。放課後や休日にこどもがひとりでも気軽に通えるような場所に、継続的に通える、こころのプロフェッショナルとことばのプロフェッショナルが常駐している施設を作ることです。(こんなことを書くとお役所仕事で立派な施設を作ってしまいそうですが、街のなかの古い建物の1室をレンタルすればできることです。)

*本当は、子供の頃(2歳~3歳くらいが多いようです)どもり始めたまさにそのときに、どもりについて熟知した言語病理学専門の医師・STのチームに相談できるような体制があれば、その時点でどもりを治すことができるのではないか考えます。(ブックリストに載せているマレー博士の「吃音の克服」で述べられています)
しかし、少なくても、いまの日本ではそのような話はまさに絵空事。できることから進めていく必要があります。

少しずつでも、どもりで小さな心を痛めるような子供が少なくなっていくように、できることから進めていく必要があります。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中