新しい吃音者は吃音の素人だから

変なテーマではじめました。
どもり経験はその人一代かぎりのもので、残念ながら、現状では、世代を通じてその経験や対策が受け継がれていって洗練されているものではありません。
*、医学的に原因が分かって手術や投薬で根治するようになれば話は全く別となります。時間旅行もできそうな27世紀ころ(??)にはそうなるのではないかと思っています。

さて、
根本的な治療法が出ることが全く期待できない現状で、それでも、ある程度より重いどもりを持った人の生活状況を少しでも改善する方法は、
どもりを持った子供や大人に対して、その人ごとの重さや症状、家族背景、経済状況どを考慮しながらの、吃音者のこころや生活、ことばの状態をバックアップするための、
「本人と家族の心理カウンセリングシステム」と「重さや症状に合わせた言語訓練システム」の確立です。
どもりを原因として就職できない人のための「吃音の知識を持った就職コーディネーター」の存在も必要です。
*、これらのシステムがしっかりしたうえで、吃音者の心のよりどころサロンとしてのセルフヘルプグループが存在すればよいのだと思います。セルフヘルプのメンバーは言語聴覚士などの専門家がどもりで悩んでいる子供や大人に現実に即して対応できているかを見極めアドバイスするスーパーバイザーとしても活躍できます。

でも現実は相変わらずです。
日本では、国家資格である言語聴覚士で吃音にスキルの高い方が開業していることが事実上ないに等しいので、(子供が自分で通えるまちなかの歯医者さんくらいの密度は無理としても、なんとか、放課後など日常的に通えるくらいの距離にある必要があります)、どもりの悩みで追い詰められた人たちは、セルフヘルプグループに参加できれば良い方で、多くはひとりで悩んでいるか、昔からたいして変わりばえしない民間無資格どもり矯正所に通い、あいかわらずの腹式呼吸や、メトロノームにあわせてなどという19世紀的な対処法を受けているのが現状です。

ことばによるコミュニケーションは、人が生きていく上で最も基本的なところに根ざしています。
ですから、ことばに障害があるということで、劣等感を持ったり恥ずかしさを感じるのはあたりまえのことです。
こころの奥底から出てくる「恥ずかしい」という感情、なんとも言えない劣等感を感じる自分のことを、「考えが甘い」などと責めてみてもしかたがありません。
ひとと同じことができないことに劣等感を持ったり恥ずかしく思うのは当たり前のことです。

職場や仲間内で、常識ある大人ならばどもることを笑ったりからかったりはしませんが、常識ある大人が少ないのが現実の世の中です。
子供の世界に至っては、どもるごとに笑われることは日常茶飯事と考えるべきです。陰湿ないじめに遭うかもしれません。
それらを前提に現実的な対策を講じるべきでしょう。

我々が努力さえすればすぐできる対策もあります。
それはどもりを持った子供のいる家庭のあり方を変えること、それを啓蒙することです。
どもりを持つ子供の心のよりどころであるべき家庭のなかでは、
学校でのいやな出来事から解放されて思いっきりくつろげる雰囲気が必要です。(甘やかすということではありません。)
どもりで悩んでいること、本音を、心置きなくはなせるような雰囲気の家庭であることが必要です。
残念ながら、これすらできていないことが多いのが現状です。
多くの場合は親の悪意ではなくて、親のどもりに対する知識のなさから来るものでしょう。

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