吃音と自殺願望(絶望を超えて生きるということ)、(再掲載一部改編:定期的に掲載、初投稿2008年8月)

早いもので311から半年が過ぎようとしています。
こちらは東京近郊の都市ですが、それなりに大きく揺れて怖い思いをし原発の事故では放射能の心配もしましたが、やはり東北の被災地や福島と比べると天と地の差があるでしょう。
同じ東日本に住むものとして、東北の一日も早い復興と、大きな余震や東京直下地震などが起こらないように祈ります。

さて、今回のテーマは、このブログを検索するときにキーワードで常に上位にランクされている「吃音と自殺」についてのものです。
どもりを原因として日常生活や進学・就職に大きな支障が出ることが続くと、次第にうつ状態となり自殺を考えはじめます。季節の変わり目、年度の変わり目などを中心として定期的に載せるようにしています。

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ここのところ毎年のように自殺者が3万人を超えていますね。
これはとんでもないことで、まさに非常事態です。東京圏では電車の人身事故が1日に複数発生するのは珍しいことではなくなりました。

個人が努力したりお互いに助けあったりしていくことはもちろんですが、もはや、そんな状況ではありません。
期待して政権交代させたはずの政権のあまりの馬鹿さ加減にはあきれるばかりですがあきらめてはいけません。
今回もせっかく新総理になったのですからがんばってもらいたいと思います。

「どもりと自殺願望」について取り上げます。

どもりを持っている方と仲良くなり一緒に食事をしたり飲んだりすると、「過去に自殺しようと思った、または、実際に自殺未遂をした」という方がそれなりの数いらっしゃるのです。
これは私にとっては不思議なことでもなんでもなくすんなりと受け入れられる話でした。なぜならば、私もそうだったからです。

思春期の子供にとって、どもって授業中に答えられない、教科書が読めない、友達に電話ができない・・・などのことが日常的に起こると生きていくのがつらくなるほどの感情を持ちます。(現在では、陰湿ないじめの対象にされているケースもかなりあるのではないかと思います。)

しかし、文章で、「どもりは恥ずかしい」、「かっこの悪い」「死んでしまいたい」と書いたとしても、第三者からみた場合はそれほどでもないような印象を持たれることが多いのです。
家族からも、「多少のどもりを気にして何かができないなどというのは甘えだ、もっと苦労している人はいくらでもいる。」と言われることも多いようです。

「かっこわるい」「恥ずかしい」と思う、子供のころから刷り込まれてしまった感情は、
「明日からはそう思うのはやめよう!」として簡単にやめられるものではなく、どもりの症状そのものとも相まって人生を苦しいものにしています。

現在、メールなどによるコミュニケーションが発達したわりには、学校などの教育現場では、「自分の意見をまとめて人の前で上手に発表すること」の重要性が語られています。
背景には、産業界からの「話し言葉によるコミュニケーションスキルの向上」が求められている事情があります。
その結果として、多くの学校で、パワーポイントなどのアプリケーションを使ったプレゼンテーションのまねごとなどが行なわれています。(実際にプレゼンテーションの教育に携わってみると、教わる生徒よりも、むしろ、教える側の現役の先生のプレゼンテーションの下手さにあきれてしまいます。)

そのような、「話すことを重視する」環境下で、学校に通っているどもりを持っている少年少女は、今まで以上に生きづらさを感じているかもしれません。

かつては、学校が終われば大都市圏内でもどこかに空き地があり、カバンを投げ捨てて野球をしたり鬼ごっこをしたりなどのアウトドアでの遊びがありました。言葉も使いましたが、同じくらい体も使って遊んだものです。

しかし、いまは限りなくインドア・・・。外でスポーツをする場合でも誰かに管理されていますね。日常から「おおらかさ」がなくなっています。

人間はいろいろなことで、とことんまで追い込まれてくると、最終的には「死」を思います。
(最近は他人を巻き添えにしようとする人も増えてきました。)

どもりの場合でも、ある程度以上の重いどもりを持ちながら、まわりの環境(家庭環境、学校・職場環境)が本人にとって厳しいものならば、次第に心理的に追い詰められてきて「うつ状態」になり「自殺」を考えることもまれではないでしょう。

また、明らかにどもりによるものと思われる失敗、学校や仕事上の日常的な失敗から、就職の面接、進学の面接などの人生の節目における大きな失敗が重なってくると、人が生きていくための「心のリソース」が欠乏してしまいます。
そして、うつ状態になり、突発的に自殺を試みる場合も出てきます。(実は私がそうでした)

私の場合は、とことんまで精神的に追い詰められて、死にそこなって、そこで、「目覚めた」。
「絶望することで目覚めた」という、なんとも危険な経験をしています。
もちろん、こんなことは絶対にお勧めしません。だめです。
なぜならば、自殺の悪いところは、死んだ自分よりもまわりの人々(家族・友人・同僚)に長く続く精神的な苦痛を与えるところだからです。

自殺を考えるときは、自分ひとりで心が迷走しています。普段は決して行かない細い道にあてもなくどんどん進んでしまっています。
そのような状態からは自分だけではなかなか抜け出せませんから、家族や友人のサポートが必要なことはもちろん、そうなる前に精神科医やカウンセラーに相談することが必要です。日本でも精神科医にかかることの敷居が低くなってきたので、躊躇しないで病院に行ってください。

少しずつでも良いので、よい方向に自分をもっていきましょう。
悩んでいて動けなくなっている人がいたら助けましょう、助け合いましょう。

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