吃音の「かっこ悪さ、恥ずかしさ、人生への悪影響」を直視することについて

こどもの頃から日常的にどもってきて・・・
家庭内でも学校でも、また、友達同士でいるときにもどもってしまい、コミュニケーションをとるのに支障が出るような、ある程度以上の重さの吃音者にとって「どもることに慣れる、恥ずかしさや、やりきれなさを感じなくなる」ということはないといって良いのではないでしょうか?

ことばの上での失敗をする毎に・・・
恥ずかしさ、かっこ悪さ、みじめさを感じることも多いでしょう。

答えが分かっていても発表できない。ためらってしまう、「またどもってしまうのではないか」
無理をして発表するために立ち上がってみても、やはり、心配していたとおりに、ことばが出てこないで立ちんぼが続いてしまう・・・(ああ、無理をしなければ良かった)
会社で電話をとるのをためらってしまう。
社内に自分しかいないときにかかってきて仕方なく電話をとったが、しどろもどろの対応で、あとで上司経由で顧客から苦情が来た。
営業の仕事で訪問したい、まったくつきあいのなかった会社に訪問のアポイントを取るために電話するのをためらってしまう(明日、明日と先延ばししているうちにチャンスを失ってしまった)

これらのことで深く悩んでいることなどは、黙っていれば第三者には分かりません。
しかし、そのような生きたかを続けていると、悩みが深く静かに潜行し、我慢している分自分の心のなかだけにしまっているほど、心の奥底に解消できない心の疲れとして積もり積もっていきます。

気がついたときには、医者にかからないといけないような心の病気に陥っていることはまれではありません。

社会人になれば、子供の頃から学生の頃までとは違い、結果的に自分の身の丈に合った生き方になってきますから(ならざるを得ないから)、どもりが軽くなるように思える場面が出てくるかもしれません。
どもることによりある仕事が遂行できないような人には、会社などの組織はその仕事を任せるようなことはしませんから、学生時代よりは楽になる場合もあるかもしれません。
*、あえて、自分の意思で無理をして、自分のしゃべり能力を超えた職場に就職した場合。または、実力でなくてコネで就職した場合には、職場での毎日は大変なものになります。覚悟の上で就職した場合はともかく、コネで実力以上にしゃべらなければいけない仕事に就いた場合の苦しみはより大きいかもしれません。

吃音者が感じる「かっこ悪さ」「恥ずかしさ」などを否定してみてもしかたがありません。
むしろ、他者と関わりのなかで生きていて、そういう感情を持つことが日常的であるということを直視して・・・

こどもに対しては学校生活をうまく送れるようなアドバイスやバックアップが必要です。
もしも、どもりを原因として陰湿ないじめなどを受けていれば、速やかに対処できるような体制を。
親や家庭環境が劣悪な場合は強力な指導ができるような権限を持った専門家を配置し、こどもが気軽に相談できるようにすること。
本人が希望すれば、適切な言語訓練や心理カウンセリング(家族カウンセリングを含む)が気軽に受けられるようにすること。

学校を出てから、社会人になってからの方が、かっこ悪さ、みじめさを感じることが多くなるかもしれませんので、就職をする前や人生設計をする段階(つまり社会に出る前の学生の段階で)、
ひとりひとり違う性格や人生に対する考え方、純粋な仕事の能力、
また、どのような境遇に育っているか(精神的・経済的バックアップがあるか)なども考えながら、

ことばの問題で、これから先、耐えきれないような必要以上の苦労をしないように、結果としてこころがくさってしまい生きる気力をなくしてしまうことがないように、バックアップしていくことが、アドバイスする側バックアップする側のあり方だと思います。

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