吃音者にとっての新学年(再掲載:2008年4月)

もう少しで新学年が始まります。
 「どもる子供」であった私にとって、春休みや夏休みなどの長期休暇は教室内での「しゃべること」への恐怖から開放される貴重な時間でした。ほっと一息つく時間帯でした。

 新学年が始まるこの時期はいつも暗い気持ちになっていました。
「また、みんなの前でどもりながら自己紹介して笑われたり、自分がどもりであることを知らない新しい先生の前で教科書を読むのにどもってしまう・・・」などと、次第に不安が大きくなってきます。

 それでも新学期が始まってしばらくたつと、それなりの慣れというか、「あきらめ」ができます。・・・・・・
 長期休暇中は「しゃべらなくてもよい」という安心感からか、また、家の中で生活に最低限必要な会話のみをしているので、言葉についてのストレスが減りどもりが多少軽減されることもあります。
 近くにいる家族も、「この子はどもりが良くなったのか」と思われてしまうかも知れません。

 新学年になり、新しく一緒になったクラスメートの前で自分の名前が言えなくて立ちんぼしたり、授業中に教科書を読むために指名される恐怖に震える日々が始まりまるのです。
(ただし吃音の程度によってかなりの差があります。軽い吃音は心理的負担が少なく、症状が重くなるほど本人が苦労することは言うまでもありません)

 こんなことを繰り返しながら思春期に入り、どもりでない子が体験するような青春の日々と、どもりであるがために体験する苦労を同時に経験しながら生きていくのです。
 そのような日々の繰り返しを生きていくことにより、(多少)重い吃音であってもそれらを克服し社会人として大成していく人もいれば、それほど重い吃音ではないのに引きこもりのようになってしまうケースもあります。

 どもりの症状の絶対的な違い、家族や友人のどもりに対する理解度の違い、それらを踏まえた上での本人の人生観の違い、心から本音を語れる友人がいるかどうか、など、いろいろな条件が複雑に作用してどもりの人の今後の人生が違ってくるものと思われます。

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