素直に吃音に悩み、吃音にこだわることの大切さと怖さ、また、素直にこだわれる・悩める環境をどうやって作るか

 日常生活に支障が出るくらいのある程度より重いどもりをもっていると、朝起きてから夜寝るまで(場合によっては夢のなかまで)人と話すごとに自分がどもりであることを意識(させられ)ます。

 「どもりにこだわらない生き方」を説く旨もありますが、乱暴な言い方をすれば、こどものころから日常生活に明らかな支障が出るくらいの重さのどもりを持っている場合は、それはたぶん無理でしょう。
 無人島に流されてひとりで生きていくならばともかく、現実は、家族、同級生、同僚・・・などの他者とのコミュニケーションを取りながら生きているので、どもるたびに「ああ自分はどもりなんだ」と意識させられますし、無意識の世界までそれは広がっています。

 子供の頃からある程度の重さのどもりを持ちながら生きてきた場合において、両親を含む家族がどもりへの理解が少ない(多くはそうでしょう)か全くない場合は、
 さらには、家族がどもるごとにあきらかにいやな顔をする場合に至っては、悩みをぶつける場が全くない吃音者の心は大きく内向すると思います。

 そうなると、かつての私のように、自分のこころのなかにもうひとりのどもらないバーチャルな私を作り上げて そこに逃げ込むしかなくなります。
 そして最終的に至るのは、うつ病などの「心の病」です。

 「どもり」を自分の問題としてだけでなくて将来のどもりで悩む人のためにも まずは、素直にどもりにこだわれる悩める環境を作ることが第一です。

 それには、人が生きていく最小限の単位である家族の再教育も必要でしょう。
つまりある程度強制的にでも、どもりを持つ子供がいて育て方に問題がある家庭に介入できるシステムの構築です。
*、子供の虐待の問題においても、親権を制限したり停止して強制的に隔離しておけば殺されなくて済んだ子供はいくらでもいるだろうに、過剰な、または間違った人権感覚が悲劇を生んでいます。行政の態勢(人数、かける予算、スタッフの専門能力、やる気)も根本的に見直さなければなりません。

 クラスメイト全員が「吃音」問題について理解し配慮するのは事実上不可能ですから、ある程度の逆境を耐えるられるように、心の専門家による親身なカウンセリング・サポートも必要となってきます。

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