吃音問題をプラクティカル考えることの重要性(その2)

今回は、このブログの副題にもあるように、
これからのどもりをもった子供が、私たち(いままでの吃音者)と同じような苦労をしないですむようになるために、どもりという「多面的な言語障害」をプラクティカルにとらえることの必要性を考えます。

○、自分の経験のみを基準に「どもりの問題」を考えないこと
どもりを「自分個人の問題」として考えるときは「大いにジコチューに考えましょう」ということは先日書きました。
セルフヘルプグループなどのサロンは、大いに自分のありのままを出し(出せるような)安心した環境であるべきです。
多くの場合、吃音者は、思いっきりジコチューに考えたつもりでも、第三者から見ればかなり控えめになっていると思います。

職場の場合は全く違います。他人はどもりのことを気にしていません、無関心です。
しかし、たとえば同じ職場のどもりの人のために自分の仕事に悪影響が出る場合などには干渉してくるでしょう。他人のことを思いやる余裕がなくなっているのです。

一方、どもりの問題を社会問題として考えるときには自分の経験を基準にしてはいけません。
なぜならば、どもりには「重さの違い、症状の違い」、「子供の頃の家庭環境(精神的・経済的)の違い」により、同じ「どもり」という名前ではくくれないほどの大きな違いがあるからです。

○、自分のどもりの症状(重い軽い)を直視する勇気
自分の人生をすすめていくうえにおいて、「どもりを持ちながら生きていく、または、なんとか軽くしていこう、など・・・」すべての場合において、自分のどもり(症状、精神的な状態)を客観的に見ることが、気が進まないかもしれませんが、結果的に良い方向に進むための第一歩になるとおもいます。
ぜひ、小さなレコーダーやビデオカメラで、自分が外でどもっている様子を記録して見てください。

○、家族や友人は、吃音をもった身内や友人を自由にどもらせてあげてください。
セルフヘルプグループのなかではもちろんのこと、日常生活のなかで自由(こころおきなく)にどもれる環境があることはたいへん良いことです。

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