吃音をプラクティカルに考えることの重要性

新年明けましておめでとうございます。
新年第1回は、このブログのサブテーマである「吃音をプラクティカルに考えること重要性」を考えます。

*、セルフヘルプグループに代表されるような、自分の吃音経験やどもりにまつわるいろいろなことをためらいなく話せるサロンのような場は大変重要です。
 しかし現実には、そのような場が身近に見つけにくいことと、 どもりで悩んでいる人ほど、それらの集まりに参加することをためらうことが多い(なかなか踏み切れない)のです。
 思い切って参加した集まりでは、「治すべき、治すべく訓練すべき」と、「今のままでよい、どもったままでよい」という考えの対立のなかに巻き込まれてしまってかえってつらい思いをするようなことがあるかもしれませんし、お節介な「先輩」のアドバイスに疲れてしまうかもしれません。
 吃音者どうしの集まりは気軽に語り合えるサロン的なものであってほしいと思います。

 吃音問題を俯瞰的にとらえて、システムとして良い方向に進めていくためのいろいろなことを考える場は別の場所に作る必要があるでしょう。

 どもりは個人ごとに大きく違うものです。 どもりには、ごく軽いものから日常生活や人生に大きな支障をもたらす重いものまであり、家族や学校・職場のメンバーから理解を得られている場合もあれば、理解どころかどもるたびに笑われたりいじめられたりする場合まで実にいろいろです。

 その「どもりの問題」を、将来にむけて少しでも良い方向に進めていこうとするならば、まずは、現状の正確な把握が必要です。
 家庭内では、学校では、職場では、就職に際しては・・・、ある程度以上の重さのどもりをもった人は、どのような立場におかれてどのような苦労そしているのか。正確な情報なしにはなにもできません。

 次に、それぞれの立場の吃音者ごとに、オーダーメードの援助が受けられるようなシステム作りが必要です。

 吃音は人ごとにそれぞれなので「こうすべき」というものではありません。
例えば・・・生きていくための必要性から(希望する仕事につくために)、どうしてもことばの流暢性を確保しなくてはいけなくなり訓練を希望する場合もあるでしょう。
 そのような立場におかれた人に対するサポート(言語訓練、精神科医や臨床心理士による心のサポート)も必要です。

 「流暢性などということばすら聞きたくない今のままで良い」というような考え方をお持ちの方もあるでしょう。しかし、 ほんとうに心からそう思えているのか? あきらめの気持ちからそう思ってしまっているのか? 第三者のアドバイスを鵜呑みにしているのか? などの見極めも必要です。

 さらには、どもりに起因するいろいろな出来事から、結果として、登校・出社拒否、引きこもり、うつ病のような深刻な事態に陥っている場合のサポート体制をどのように構築していくかということも、プラクティカルに考えて対策を練る必要があります。

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吃音をプラクティカルに考えることの重要性」への2件のフィードバック

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