吃音と人生の時間の長さ(再掲載改編:2005年11月)

 小学生のころより常に自殺考えるほどどもりで苦労し悩んできた私も、今(40代後半です)では子供のころの自分が見たら仰天してしまうような仕事をしています。
しゃべることを生業としています。(・・・・といっても落語家ではありません、先生の類です。)

 でも、自分を取り巻く環境が大きく変われば、きっと子供の頃以上の重症のどもりが復活することを知っているから、危険水域に入らないように生き方や職業、メンタル面を工夫してコントロールしています。(年の功ということですね。子供のときからのどもりによるさまざまな失敗を通して否応なしに学習させられてきた結果としてコントロールできているのだと思います。)

 言い換えで回避できるようなごく軽いどもりは別物として、日常生活に明らかに支障があるようなどもりを子供のころから持ち思春期以降も背負ってきて、その後、それなりに流暢に話せるようになっている人や、症状は変わらなくてもそれなりに安定した人生を送っている人は、ひとことで言えば、「自分の生きる居場所(定位置)を確保できた人」だといえるのではないでしょうか。

 社会人となり、最初は大どもりでしたが、それなりに経験も積み地位も得て、今、自分のいる会社やその他の組織という枠組みのなかではなんとかなるという自信がついてくる。
年をとるとともにいろいろな面で妥協することをおぼえてくる。

 著名な吃音学者のバンライパー博士が若いときにトウモロコシ畑で出会った老人の話)が、フレデリック・マレー博士の著書「吃音の克服」に出てきます。

 バンライパーがその老人の話し方から、この人は若い頃には重症のどもりだったと思い聞いてみたところ、老人は、「私は以前ひどいどもりでしてね。はねまわったりつばを飛ばしたり、それはもうひどいもので、あんたより重かった。けど今はもう年をとりすぎてとてもあんなことをするきにならないね。」

素敵な話ですね。示唆に富んだ話です。
でも、この境地に至るまでの苦労が「問題」なのです。

 今の日本では、やっとの思いで就職してある程度落ち着いてきたところでいきなりリストラされたり、勤めている会社が倒産したり、失業しなくても配置が大きく変わったために大変な苦労をする吃音者はたくさんいるはずです。
 そんな彼らは大変な思いをしていることでしょう。(私もそうでした)

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中