吃音で悩んでいる子が無理をしてまで「いまの学校」に行く必要はあるのか?

どもりをもっている私が「子供」であった時代は昭和40年代中頃~50年代中頃までです。
そのころにも学校にはいじめっ子もいましたし、ヘンな先生もいました。 でも、いまとは何かが違っていたような気がします。
子供が悪いことをすればしかる。自分の子だけではなくて近所の子もしかるお母さんお父さん、おじいちゃんおばあさんがいました。
学校でも悪いことをすれば先生から怒られてげんこつくらいは飛んできましたし、廊下に立たされもしました。
学校が終わってからは空き地で野球をするなどの子供同士のアウトドアでの交流があたりまえのようにありました。ここで人間関係の基本を学んだ気がします。
街には商店街があり、豆腐屋、肉屋、魚屋、金物屋、乾物屋、八百屋、銭湯・・・などがありました。 子供の交流の場である駄菓やもありました。
つまり、地域のコミュニティーが機能していたことと、家族間はもとより地域のコミュニティーのなかで、世代間のつながりがあったのです。

「いま」はどうでしょう。TV報道にあるように、少しは沈静化していたと思っていた学校での「いじめ」とそれを原因とする自殺が、実は、増えていたと思わせるような事件の連続です。
こんな社会環境のなかで、ある程度以上の重さのどもりを持った子供が学校に通うリスクと必要性について考えます。

○、公立の学校教育の劣化
いまでも先生は一生懸命にやっているのでしょう。
そうなんです、世の中の人に聞けほとんどの人が「私は一生懸命にやっています」と答えるでしょうし、事実、忙しく働いているでしょう。
でも、その「質」と、「誰のためにどのように働いているか」が問題なのです。
余計な書類の作成ばかりに忙殺されている、わがままな父兄の対応に悩んでいる、子供をしからない(しかれない)・・・ こんな状況が見え隠れしていますが、解決策が一向に示されていませんね。

余計な書類は作らないように変えればいいし、どうしても忙しいならば事務スタッフを入れればいい。わがままな父兄には遠慮せず強力に対応できるようなバックボーンを作ればいい。

例えば給食費を払えるのに払わない親には、司法の力で財産を差し押さえをすればいい。こんなことは先生の仕事ではありません。
授業中に騒いだり歩き回る子供は先生が思いきり叱ればいいし、担任が自信を持ってしっかりと叱れるように、校長先生、PTA、文科省などが強力にバックアップする。(法律の改正も)

そうでした、ここは教育問題ではなくて、どもりの問題でした。
ある程度以上の重さのどもりを持ちながら学校に通っていて、学校ではいじめに遭っているのに先生はきちんと対応してくれないどころか知らんぷり、逃げ腰・・・
こんな、ばかばかしい環境にいる必要はありません。
国が要件を満たしたNPOなどが運営するフリースクールを認定し財政的にも補助をしながら、義務教育の卒業の資格がとれるようなしっかりとしたシステムを作ればいい。

そこで自分を取り戻しながら、しっかりと勉強していけば良いのではないでしょうか。

いまのおじさんおばさん世代(30歳代以上か?)がかつて経験したような「余計な苦労」は時間の無駄であるばかりか、私の時代とは違う陰湿ないじめは、命を落とす危険性もあるし、深刻な心の病気になると回復に長い時間がかかります。
常に現実の出来事を検証し、問題点をフィードバックしよりよい方向に変えていく。
日本はいつまでたっても、これが苦手ですね。

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