吃音:本人の望むことと、社会からの要請とを、どう折り合いをつけて生きていくか(再掲載:2009年2月)

 どもる本人が持っている「ほんとうはこう生きられればいいな、生きやすいのにな」という考え方や想い、それは年齢とともに変化していくと思いますが、
 本人の希望と、社会(子供にとっては小さな社会である家庭、学校、そして成長してからは職場)から要請されることとの間には大きな開きがあります。

 例えば、「電話は苦手で、自分の名前が出るまで30秒以上かかるので、できればしたくないな」、「自分の名前や会社名はきわめて言いにくいので言いたくないな」・・・などはその典型例でしょう。

 日常生活で、どもりでなければ当たり前のようにできることができない(できにくい)ということ。
 それも、本人の努力不足ではない理由でできない、ということは、何よりもどもっている本人の心を焦らせ、ささくれさせ、場合によっては生きること自体を辛くさせます。

 そのような立場に置かれたある程度以上の重さ(症状・心理)の吃音者が生きていくために社会からの要請にどう答えるか・・・
 全く無視するか、または答えるふりをして生きていくか、また、どうもがいても答えられないので諦めて他の道を探すか・・・
 これらのほかにもいろいろな心の形があると思いますが、このあたりが難しいことと思います。

 どちらにせよ他者との関わりのなかで生きていくのが人間である以上、何らかの折り合いをつけていく必要があります。
(でも、実際には「私も経験者ですが」自分としてどうして良いかわからなくなり、「ひきこもり」のような形になってしまうこともありますね。)

 話は変わりますが、あまりにも劣悪な日本の政治。ニュースを見るのもいやになってきますね。
しかし、あまりに凡庸な日本の政治家を選んでいるのは、実は我々であることを忘れてはいけません。

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