吃音は百人百様、対処法も百通りです。吃音経験は受け継がれません(その2)

なぜ吃音の重さの違いにこだわるのか。
比較的軽い吃音者は、ある程度まで自分がどもりであることを隠すことができます。
友人間の何気ない会話ではほとんどどもらないか、むしろ饒舌ですらあるかもしれません。
彼らはどもらない人たちと同じ土俵(職場環境)で仕事ができると思い、言葉を多用する(いわゆる一般の会社員の仕事)に無理をしてでも就きます。 就こうとします。
*、厳密に言うと、軽めの吃音者でも就職の応募から面接などは自力ですることができずいわゆるコネでの就職を選択する人がいる一方、それよりも重い人でも、自力で応募し面接を受け入社する場合もあります。
このあたりに、吃音者の多様性があり、吃音者に対するサポートやセルフヘルプグループ内での人間関係を複雑にさせている原因があります。

しかし、比較的軽い吃音者でも、仕事上の会議、電話、リスクを負った交渉ごとなど、ある条件下(多くは仕事上のリスクを負った場合)では、いきなり重いどもりになる場合があります。
そんなことが続くと、仕事はもちろんのこと、日常生活の簡単な会話にも影響が出るくらいのどもりへと悪化していきます。 いままで問題なく話せていた状況でもどもり始めます。

「企業」という猛烈な競争社会のなかで、本来の自分の能力がどもることで発揮できないもどかしさから自分を追い詰めていき、症状もますます重くなり、 いままで通用してきたレベルの「言葉を使う仕事の遂行」もおぼつかなくなり、ますます悪い展開になります。
そんなふうに少しずつ確実に追い詰められていきますが、自分をリカバリーをさせるだけの時間を、現実の社会は与えてくれません。

一方、かなり重い場合はどうでしょうか。
どもりが重いと、学校までは卒業できたとしても、現実的には民間企業の一般の職種(事務職・営業職)にはなかなか就くことができません。
小さな頃からの家の中での会話、学校での会話など、あらゆる場面で大きくどもる経験をし、数限りなくいやな思いをしてきた「圧倒的などもり体験」。
どもりでない人がそのことを理解できないのはもちろんのこと、軽い吃音者が「自分は苦労した」と思っていても、重い吃音者はそれとは比べものにならないくらいのつらい思いをしていることは間違いありません。
 

比較的軽い吃音者は、(あるレベルまでは自分のどもりを隠せるので)、自分はどもりという言語障害を持っていることを人に知られたくないのはもちろんのこと、自分でもそれを認めたくない気持ちが非常に強いようです。
日常会話では大きくどもらないことが多いかほとんどどもらないので、まわりから、どもりであることを知られていないか、つっかえ気味に話す人くらいにしか思われていないと「自分で」感じています。
ですから、それ以上に大きくどもることを人に知られたくないし、そういう自分を認めたくありません。
仕事も、どもらない人と対等か対等以上にやりたいと考えると、「このままでよい」、「どもったままでよい」、という考えにはなりにくいです。
*、これも厳密に言うと、比較的軽いどもりのなかでも「重いほう」のどもりの人は、ある場合や状況下では、「治したい」「がんばりたい」と強く重い、また、ある場状況下では、「どもったままを受け入れて言葉の面で無理のない生き方をした方が良いのではないか」というところを常に行き来する、自我が揺れ動くような安定しない人生となります。

吃音にまつわる「様々な違い」、これはどもりに限ったことではなくて成人病を例にとって考えてみても同じようなことがあります。
同じ診断名がついていても早期発見ならば命には別状がないことが多いが(早期発見でも助からない場合もあります)、進行すると死ぬか生きるかの話になります。
それでは早期発見の人は皆こころは安らかかというと、必要以上に心配し心の病気になり、人生を悪い方向に進めてしまう人もいるのです。

その3に続きます。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中