吃音:自分の「やるせないこころ」を処理し人生を進めていくことの難しさ(再掲載一部改編:2010年5月)

東大寺戒壇院

東大寺戒壇院

 私は、大卒後吃音を理由(口実)として就職できず(せずに)に約2年引きこもってしましました。
いまになって思えば、就職しようとすればできたはずです。言葉を使う仕事に自信が持てないならば、使わない仕事に就けば良かったでしょうし、いわゆる「コネ」で就職するという方法もあったでしょう。

しかし、当時の私には変なこだわりがありました。
「もしもどもりでなかったらいまの状況にはない。どもりということだけでこんなに惨めな立場にいるのだ。」
これには、正しい部分もあるでしょうし、甘えの部分も大いにあるでしょう。
子供の頃より、学校ではどもるたびに笑われ、それを予期して悩んだり震えたり、家庭でもどもりの苦しみを理解されず、どんどん精神的に追い込まれていく。
小学生の頃より自殺を考えるような子供でしたが、表面的には明るく振る舞っていたことはいうまでもありません。(あとで、グループを作ってみて、同じような経験をしている方が少なからずいることを知りました。)
 そのような自分を守る唯一の方法が「いまのどもっている自分は本物ではない。大きくなれば嘘のようにどもりはなおり、電話も発表も教科書の音読も自由にできるようになる。」と思うことだったのです。(何回か書いている自己不一致の問題です。)
 その後もひたすら(外に対しても、自分に対しても)良い人を続けてきて、どうしようもないところまで追いつめられて「ひきこもり」という結果になったのでしょう。

 私の場合、「自分がどもりで他の人が当たり前にしゃべれることがうまくできないこと」をこころから理解し、必要に応じて第三者にほぼ躊躇なく自己開示ができるようになったのは人生経験を経た30代の半ば以降です。
「どもることによる圧倒的な敗北感を感じるような経験」を子供の頃から繰り返しているような場合は、人生に影響を与えてしまうようなマイナスの感情を打ち消すには、子供だましのような心理療法などほとんど意味をなさず、それを超えるような人生経験を積むこと(つまり苦労すること)しかなかったと思っています。
*、本来、そのような状況はあってはならないのです。人生の基礎工事の段階である少年期に悩みを打ち明けられるプロフェッショナルがいなかったということは大きな問題です。私の少年時代、大きく悩んだ70年代末と比べて、今が変わっているかと言えば何も変わっていません。

 育った世代で考えれば、私のように高度成長期に生まれた世代と違い、戦中か戦後まだ焼け跡がある世代に育った人ならば、どもろうが生きていくために働かなければならなかったでしょう。
昭和も30年代くらいまでは一億総サラリーマン志望ではなくて、都市近郊でも農家もあれば魚屋さんも肉屋さんも、雑貨屋さんもありました。色々な生き方が選択できる時代だったわけです。しかし、いま、昔話をしても仕方がありません。

 皆が「会社」に入りたがっていて、というか、特に都市部では選択肢がそれくらいしかなくなっていて、その「会社」では当たり前のようにことばによる交渉をして電話をするという仕事のスタイルです。会社間社員間の競争も激しいですから、どもりの問題が良い方向に向かうどころかますます混迷を深めます。

 我々のやる気さえあれば近い将来に実現可能な対策としては、
子供が街なかの歯医者にかかるような感覚で、気軽にいつでも「吃音に対する学識と豊富な臨床経験を持つ言語聴覚士、臨床心理士、彼らをバックアップする精神科医」に相談に行ける体制を作ることです。
 私は、これだけでも、特に、「比較的軽い症状の吃音者」や「第三者から見て軽いどもりを必要以上に気にしている心理的に重い吃音者」にはかなりの効果あると思いますし、重いどもりを持っていて引きこもりがちの場合などにも本人や家族の力強い味方になると思います。

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