吃音を「治したい」、「少しでも軽くしたい」と思うことについて(再掲載一部改編:2008年9月)

東大寺大仏殿

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 どもりを持つ人が、「できるなら治したい」、「少しでも軽くしたい」と思うのはあたりまえのことです。
人間は、心の底からわき上がってくる感情を理性で無理して押し戻そうとすると、そのようなことを続けて無理をしていると、最後にはうつ病などの心の病気になります。(心の病気はなかなか治りません。)

 どもりを持っていて、そのどもりが生活に支障を来すくらいの重さの方ならば、心の底には(本人が意識しているかどうかは別として)「治したい」というあたりまえの感情が眠っていて、なにか大きな失敗をしたときなどに(普段は眠っている)それらの感情が表面に出てきます。 (本人もその感情の強さに驚いてしまうことがあります。)

 以前、書いたことがありますが、どもりを持つ人の間でもよく語られる作家の重松清さんが、「私のどもりが治るならば、私の作家としての才能を失っても良い」というような趣旨の発言をされていますが、とても正直な方だなと思います。

 「どもりを治したい」という考え方と、「どもりのままで良い」という意見の対立がよく言われますが、そのような対立は意味がありません。
同じ人が、ある場合は治したいと思い、ある状況下ではこのままでもがんばれる、と考えるなど、人の心はつねに揺れ動きます。それを自分でも、もちろんまわりの人も認めることです。
 場合によっては、それらの議論でお互いを傷つけるようなこともあるでしょうが、そんなことをしても良いことはありません。

 それよりも、どもることで「自己不一致」に陥らないように注意することです。
自分のなかに、「現実にどもっている自分」と「どもりが治っている架空の自分」が同居してしまい、苦しくなると架空の自分のなかに逃げ込んで現実の自分を生き生きと生きられなくなってくるのです。

 それぞれの人なりに「自分らしく」生きられるように、「どもり」と「自分」の関係を、自分なりに模索しながら人生を送っていけるようになるために、どもりのお子さんを持つご両親は、お子さんが小さな頃から「どもり」については過大な楽観も、もちろん悲観も与えてはいけません。

 どもりと仕事について言えば、・・・・・・・
言語能力以外ではある仕事に就ける条件がすべてそろっていても、ただ「どもる」ということでその仕事に就けないということはいくらでもあります。

 例えば、小さな頃からある仕事に就くのが夢でたいへんな努力をしたとします。(その仕事は言葉を多用する高度な専門職だとします。)
「どもり」については、親を含むまわりの人達から、「大人になれば治る」といわれながら、その言葉を信じつつ頑張ってきました。
 しかし、実際には、大人になっても治っていない・・・・・・
小さな頃からの努力の結果、学力・人物ともに申し分ないほどの人物でも、ただある程度以上重さの「どもる」ということで、その仕事に就けないことはいくらでもあります。それが現実です。

 子供が「取り返しのつかないような人生の遠回り」をしないように、また、どもることによる苦労も「心の病気にならないくらいの」程度で済むように、どもりの子供を持つ親御さんや学校の先生や、言葉の専門家や心の専門家は、・・・・
「思春期をすぎてからもある程度以上のどもりがあり、生活に支障が出ているようならば、その(症状として)のどもりは、その後も完全には治らないことが多い」ことをきちんと理論立てて伝えるべきでしょう。(臨床心理士や・言語聴覚士などによるどもるお子さんへのバックアップ体制ができていての話です)

 もちろん、上記のような状況でも、本人のたいへんな努力や、なにがしかのタイミングで、(言葉の環境の面で)背伸びしたような環境に入れることがあります。
しかし、このような話を、「努力さえすれば必ずできる」というようなサクセスストーリーにしてしまい、
「努力しないから治らないし、克服できないのだ」、などという、いきすぎた精神論が出てきてしまうと、多くの吃音者を結果的に苦しませることとなります。

 人生において、言葉では表現できないほどの苦労の末に到達する境地にはすばらしいものがありますが、それは、「とてもとても」つらいものです。
それは耐えきれないほどの苦痛が伴うので、ことがうまく運べば良いのですが、結果として挫折したときに放心状態に陥ってしまい、うつ状態に陥り、自殺をしてしまうようなことも決してまれなことではありません。

 現在も、どもりの原因は明確ではなく、医学レベルでの確実な治療法も事実上ありません。それでも、どもりを持った人たちはこの世の中で毎日生きているのです。
かつての私がそうであったように、「どもりを治したい」ことをあきらめきれない人は、自分なりに治してくれるところを一生懸命に探します。「科学が発達した2008年の今、きっとどもりを治してくれるところがあるはずだ」と・・・・・・・・・

 藁をもつかむ思いでやっと見つけた「治します」という民間矯正所に一抹の不安を抱えながらも、地方から飛行機代と滞在費、そして、多額の治療費(?)をつぎ込んでまで、通う人々を私は笑えません。

 なぜならば、そういうことがなくならないということは、いかに医学やリハビリテーションの世界で「どもりのカウンセリングや治療が無視されてきたか!}と言うことの証明だからです。

 きついことを書くようですが、・・・・
現実には、どもる人の年齢や立場(就く仕事の種類や仕事上の地位)によって、まわりから要求される「どもることへの許容範囲」がちがいますから、それらの現実を踏まえた上で、プラクティカルな様々な対策を立てていく必要があります。

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