吃音者でも「現状認識」や「求めるもの」はそれぞれ違います

 人が3人いれば同じことがらに接しても受け取り方がそれぞれ違うように、
吃音者といっても様々で、自分のどもりをどのようにとらえているか、そして、これからどうしたいか、ということにはかなりの差があります。

○、年齢、性別、どもりの重さや症状、子供の頃から自立するまでの家庭環境(精神的、経済的)による違い

 いま、自分が10歳の小学生か、45歳か、 それぞれのの年齢でできることはかなり違います。
しかし、45歳の自分では手遅れで、10歳の自分ならチャンスにあふれているなどと言えるほど人生は単純ではありません。歳ととっているから諦めると言うことではなくて、人生経験を積んできたからこそできることもあります。

 (ほとんどあり得ない想定ですが)、子供の頃からどもりの臨床経験豊富な言語聴覚士や精神科医、臨床心理士が身近にいてくれて継続的なサポートが受けられ、どもりに理解のある理想的な家庭に育ったとしても、必ずしもそれが良い結果をもたらすとは言えないところが人生の奥深さかもしれませんね。(今が苦しくとも腐らずに、なんとかでも生きていくということは大切だと思います。)
*、いままでは人生に悪影響を及ぼすマイナス経験と思っていたことが、あるできごとを境にして、その経験は生きるために実に有益な経験だったと思えるようになることがあるのが人生の不思議さです。

 男性か女性かということも、男女差別が他の先進諸国と比べて色濃く残っている日本の場合では大きく影響してくるでしょう。男の子だからこうしなければいけない、女の子だからこうあるべきだということも、どもりを持つ子供を必要以上に追い込むことになるかもしれません。

 どもりの重さや症状の違いは、同じ「吃音者」ということばではくくれないほどの違いを作り出します。
吃音者同士で話し合ったりするときには、お互いの違いを素直に認め合い、また共通点も探りながら、共同で何かをできないかという考え方が必要です。

 育つ段階(子供の頃から自立するまで)の家庭環境の違いも、吃音者の人生に影響します。
 家庭が経済的に余裕があれば人生を一時的にドロップアウトしても余裕の対応ができますが、余裕のない家庭ではそれができず、結果として家庭内の人間関係がギスギスし悪い方向に向かうこともあるでしょう。
 また、場合によっては、劣悪な環境が本人を鍛えてくれて、バイタリティーあふれる生き方ができるようになるかもしれませんね。人生は実に多様なのです。

○、自分として「過去」をどのようにとらえるか、これからをどのようにしたいか、の違い

 こちらは、個人の考え方、生き方によって、自分のこれからをかなりコントロールできる部分です。
 たとえ、つらい過去があろうともそれを乗り越えていけるかどうかは個人の努力にもよりますが、つらいときにその気持ちを分かちあってくれる家族や親友がいるかどうか?ということもかなり大きな要素です。

 また、どもりで悩んでいても、自分から努めて心を開いて外の世界と接することを続けていけば違う世界が見えてきますので、良い方向に向かうことも多くなるでしょう。

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