吃音と自殺願望(絶望を超えて生きるということ)、(再掲載:2008年8月、一部改編)

 今回は「どもりと自殺願望」について取り上げます。

 どもりを持っている方と仲良くなり一緒に食事をしたり飲んだりすると、
「過去に自殺しようと思った、または、実際に自殺未遂をした」という方がそれなりの数いらっしゃるのです。

 これは私にとっては不思議なことでもなんでもなくすんなりと受け入れられる話でした。なぜならば、私もそうだったからです。

 思春期の子供にとって、どもって授業中に答えられない、教科書が読めない、友達に電話ができない・・・などのことが日常的に起こると、生きていくのがつらくなるほどの感情を持ちます。(現在では、陰湿ないじめの対象にされているケースもかなりあるのではないかと思います。)

 しかし、文字で、「どもりは恥ずかしい」、「かっこの悪い」と書いたとしても、第三者からみた場合はそれほどでもないような印象を持たれることが多いのです。
 また、家族からも、「多少のどもりを気にして何かができないなどというのは甘えではないか」と思われることも多いようです。

 「かっこわるい」「恥ずかしい」と思う、子供のころから刷り込まれてしまった感情は、
「明日からはそう思うのはやめよう!」として簡単にやめられるものではなく、どもりの症状そのものとも相まって人生を苦しいものにしています。

 現在、メールなどによるコミュニケーションが発達したわりには、学校などの教育現場では、「自分の意見をまとめて人の前で上手に発表すること」の重要性が語られています。

 背景には、産業界からの「話し言葉によるコミュニケーションスキルの向上」が求められている事情があります。
その結果として、多くの学校で、パワーポイントなどのアプリケーションを使ったプレゼンテーションのまねごとなどが行なわれています。(実際にプレゼンテーションの教育に携わってみると、教わる生徒よりも、むしろ、教える側の現役の先生のプレゼンテーションの下手さにあきれてしまいます。)

 そのような、「話すことを重視する」環境下で、学校に通っているどもりを持っている少年少女は、今まで以上に生きづらさを感じているかもしれません。

 かつては、学校が終われば大都市圏内でもどこかに空き地があり、カバンを投げ捨てて野球をしたり鬼ごっこをしたりなどのアウトドアでの遊びがありました。言葉も使いましたが、同じくらい体も使って遊んだものです。

 しかし、いまは限りなくインドア・・・。外でスポーツをする場合でも誰かに管理されていますね。日常から「おおらかさ」がなくなっています。

 人間はいろいろなことで、とことんまで追い込まれてくると、最終的には「死」を思います。
(最近は他人を巻き添えにしようとする人も増えてきました。)

 どもりの場合でも、ある程度以上の重いどもりを持ちながら、まわりの環境(家庭環境、学校・職場環境)が本人にとって厳しいものならば、次第に心理的に追い詰められてきて「うつ状態」になり「自殺」を考えることもまれではないでしょう。

 また、明らかにどもりによるものと思われる失敗、学校や仕事上の日常的な失敗から、就職の面接、進学の面接などの人生の節目における大きな失敗が重なってくると、人が生きていくための「心のリソース」が欠乏してしまいます。
 そして、うつ状態になり、突発的に自殺を試みる場合も出てきます。(実は私がそうでした)

 私の場合は、とことんまで精神的に追い詰められて、死にそこなって、そこで、「目覚めた」。「絶望することで目覚めた」という、なんとも危険な経験をしています。

 もちろん、こんなことは絶対にお勧めしません。だめです。
 なぜならば、自殺の悪いところは、死んだ自分よりもまわりの人々(家族・友人・同僚)に長く続く精神的な苦痛を与えるところだからです。

 自殺を考えるときは、自分ひとりで心が迷走しています。普段は決して行かない細い道にあてもなくどんどん進んでしまっています。
 そのような状態からは自分だけではなかなか抜け出せませんから、家族や友人のサポートが必要なことはもちろん、そうなる前に精神科医やカウンセラーに相談することが必要です。日本でも精神科医にかかることの敷居が低くなってきたので、躊躇しないで病院に行ってください。

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吃音と自殺願望(絶望を超えて生きるということ)、(再掲載:2008年8月、一部改編)」への2件のフィードバック

  1. 管理人です。書き込みありがとうございます。いつも書いているように、どもりの個人差、それも、特に子供の頃から社会人になるまでの本人を取り囲む経済的、精神的環境の差が大きいのではないかと思います。若い方が引きこもりかそれに近い状況になった場合、家族がそれをただ腫れ物にさわるように見守っていると、それが恒常化してその状態から脱出できにくくなると言う現実がありますね。私自身経験していますが、どこかで引きこもっていられなくなるような外からの力が働かないと、よほどの意志の強い人でない限りそれから脱出できにくくなると思います。それも、若いうちは良いのですが、年齢が上がるにしたがってこころの柔軟性がなくなっていきますので・・・(こういうときに家庭の経済事情が許されなければ引きこもりたくても引きこもっていられなくなります。たぶんこれを原因とするであろういろいろな事件が報道されますね。)どもりの問題以外でも、たとえば、リストラや自己都合で失業してから新しい仕事に就けずに(就かずに)事実上の引きこもりになっている人が多いです。(燃え尽きてしまう方も多いのです)マンションのローンが払えなくなって自己破産、などいろいろな社会問題になっています。私の場合、名前無しさん位のの年齢の頃には一般人が使えるような形でのインターネットは存在していなかったので(ニフティーサーブなどのパソコン通信はありました)、それが、仕事に就く、と言うことに対して結果的に良い方向に作用したと思います。とりとめもなく書きました。お元気で!

  2. 私はどもりですがいくら絶望しても自殺は考えたことはないですね。うまくいかなかったらひきこもってひっそり生きようという考え方です。無理をして戦うことは絶対無く、ストレスがたまりそうだなと思ったことは速やかにあきらめることにしています。学校に関しては今のほうが私が学生時代だった1990年年代よりも環境はよくなっていると思います。パソコンがなかった時代には本当にだれとも意思の疎通ができませんでした。いまだったら2ちゃんねるの吃音すれの場合は42までスレッドがのび毎日だれかしら書き込んでいます。Mixiでも吃音や会話障害のコミュニティがあります。(ただし最近過疎になっています)私自身、吃音のMixi上の知人が何人かいますがそのようなつながりもパソコンがあってこそです。むしろ昔のほうがよかったという場合、パソコンがなく外に実際に出るしかコミュニケーションの手段がなく引きこもりで今のように快適に生きることができないがために結果的に社会参加できてしまうという場合のような気がします。2ちゃんねるの吃音スレは結構良スレでいろいろと精神的に楽になる場だと思います。

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