吃音の重さの違い

 今回のテーマも何回か書いていますが、ブログの中心をなすテーマです。 

 吃音が「軽い」場合と「重い」場合では、また症状が違う場合でも・・・
本人の心持ち、本人の周りにいる家族や同僚・同級生の対応や気遣い、人生の節目(進学、就職、結婚)をうまく乗り越えられるか、ということに大きな差が出てくることが多いのです。

 かつて、自分が大卒後も就職できなかったことから発して小さなセルフヘルプグループを作っていた時には、活動を通して様々な重さ(症状)の吃音者と接することができましたが、症状、重さ、本人を取り囲む環境(経済的、家族の理解度)の違いの大きさ、多様さには驚きました。
 また、グループ内で、自分では良いと思ってしたことや言った言葉が、かえって相手のこころを傷つけたり反発をかってしまうこともまれではないことも痛感しました。

 その代表的なことが、
「どもりを治したい」と思うことと、「治すために様々な努力(訓練、練習、カウンセリングを受ける)をすること」の是非なのです。

 たとえばグループの活動で、少しでもどもりを軽くしたい(つまり、実生活におけるどもりでの苦労を減らしたい)ということで、街中に出て道を聞く練習や、それぞれの家(実家、下宿)に電話をかけ合って電話になれる練習をするとします。

 「どもりで悩んでいる」と言っても、比較的多くの方は日常生活の何気ない会話ではどもっても大きな破綻はなくて、電話をかける時とか学校や職場での発表の時に大きくどもってしまう、ような方が多いのです。
 そういう方からすると「少しでも言葉の流暢性を高めたい」と思うのは自然な流れですね。

 しかし、日常の何気ない会話でも常に大きくどもっているような方からすれば、グループでのこれらの活動が大きな負担になる場合が多いのです。(かえって疎外感を持ってしまうでしょう。)

*どもりの特徴として、時間的なことも考えるべきです。
子供の頃はかなり苦労して、試行錯誤の末に結果的にだいぶ軽くなり自力で一般の就職ができたが、入ったらまた悪化して仕事に支障が出て結局退社、転職したら、その先では結構うまくいっているかと思ったらまた悪化して・・・という例も当たり前のようにあります。

 こういったこともあり、また、様々な理由から、結果として、
「どもったままで自分らしく生きていこう」という考え方、
また、「少しでもどもりが軽くなるように努力(練習、訓練、医者の受診)しよう」など、様々な考え方が出てくるのです。

 それらは、どちらが正しくてどちらか間違っていると言うことではありません、立場の違いです。
 その「違い」を違いとして認め合って、そのうえでプラクティカルな対策を練っていけば良いのだと思います。

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