「吃音と仕事」についてのバックナンバー2つ

バックナンバーばかりで申し訳ありませんが、年度末にふさわしいものを再掲載します。

吃音と仕事:現実を考える(2009/2「2008年5月一部改編」)
 ネットが発達し、どもりを持つ方々の人生模様に、掲示板・ブログ・個人のHPなどで簡単に触れることができる時代になりました。

 90年代半ばにインターネットが一般化するまでは、どもりを持っている方々がお互いに知り合うには、クラスメイトか職場の同僚にどもりを持つ人がいるか、授業形式で大勢が同時に受講するような古いタイプの民間のどもり矯正所に通うか、または、セルフヘルプグループに参加するしかありませんでした。

 しかし、どもりをもって悩んでいる人にとって、矯正所に通ったりセルフヘルプグループに通うのはことのほか敷居が高いのです。
 矯正所やセルフヘルプグループの入り口の前まではきたが、ドアがノックできずにしばらくまわりをうろうろしてから結局は帰ってしまった・・・・などという経験談はよく聞くものです。実際、私もそうでした。

 そのような方々が、ことばに表せないような苦労をしながらも少しずつ生きる自信をつけていき「働く世界」に出て行くことは、どもりでない人には想像できないくらいの大きなストレスが伴うものです。
(人によっては、世の中に出てみたらそれほど大変ではなかったと実感される場合もあります。)

 働く世界に出てみて実感するのは「働くとはお金を儲けること(民間企業の場合)」だということです。
職場の同僚は皆、自分の仕事をこなすことで精一杯で、どもりの人が「どもろうと」どうしようと、そんなことはどうでも良いのです。
 どもりの人がいることにより自分の仕事に影響がでない限り、(まともな感覚を持った大人ならば)どもることで文句をつけてきたりはしませんが、自分の仕事に少しでも影響が出てくると、とたんに非難したり他の(どもらない人との)交代を要求するでしょう。
 そのような(皆、自分のことで精一杯という)世の中の現実をしっかりと把握しつつ、どもりについて考えていかないと、(おとなの)どもりについての議論は非現実的なものとなります。

 一般的なサラリーマンが働くような職場においては、「電話をする」「交渉する」などのことばを用いての高度なコミュニケーションは必須で、これが円滑にできないと自身の仕事に支障が出るばかりでなく、会社の仕事の流れをみだします。
 そういう世界に入り込んだ「ある程度より重い」吃音者は大変な苦労をします。

私も、大卒後すぐに就職できなかった(しなかった)後ろめたさ、「会社員として働かないといけない。一人前ではない」という強迫観念に近い考えから、・・・・・
そして、あえて、ことばを多用する職種に就いて無理をしていけば「治るだろう」という漠然とした考えから、無理して営業職につきました。(ハローワークに通って自分で探しました。)

 どもりの人々の会合などで、よく、「自分が、いかに、どもりながらも会社で耐えて努力してきたか」と演説をぶち、教訓をたれる方がいらっしゃいますが、今の日本・これからの日本で、かつての私のように「ひたすらに必要以上の無理をすること」が本当に必要なのでしょうか。妥当なのでしょうか?

 1960年代くらい~バブル崩壊くらいまでのように、会社の方針に従って一生懸命に働けば、ある程度以上の収入を安定的に得られた時代は終わりました。
 毎日遅くまで一生懸命に働いていれば定年までの職場がほぼ保証され、いくらかの退職金がもらえる「かつての日本」はもうないのです。また、年末から大騒ぎになった「派遣」問題や、最近は正社員までやめさせられることを考えても単なる景気の循環以上の大きな変化が訪れていることを知るべきです。

 高度な工業製品を外国に輸出してお金を儲ければ食料も水も買える時代が終わり、水や食料が戦略物資となり自国の食料や水が足りなくなればいくらお金を積んでも他国に売ってくれないような時代も予見されています。

 そのような「根本的な世の中の変化」という背景もあり、どもりを持つ人の仕事についての考えかたを変える時期が来ているのかもしれません。
「どもりを持つ人が働くこと」=「サラリーマンになり、苦手な電話や交渉をして身を削る」ではないのです。

こんなことを再確認し、忘れられていた「ものを作る」仕事も視野に入れながら、安心して長く続けられる仕事に従事すべき時がきたのかもしれません。

 子供の場合も、「どもりを持ちながら学校に行くこと自体が苦しくて、毎日が針のむしろに座らされているようで自分がどうにかなってしまいそうだ!」くらいにまで心理的に追い込まれている場合には、無理して学校には行かずにフリースクールのようなところで心やことばの専門家のサポートを受けながら上の学校の受験資格を得られるようにしていくべきでしょう。
 いまはもう21世紀なのですから。

 人は幸せになるために生きているのであり、「ひたすら我慢して働き、そうすれば雇用が保障され、消費し続けることが人生を豊かにし、幸せになること」という時代は確実に終わろうとしています。いや、すでに終わっているのです。

吃音と職業、現実を踏まえた議論をすることの重要性(2009/05/26)
 なんとか学生時代を過ごした吃音者がぶつかる大きな壁、「就職」

 ほんとうは「就業」という考え方でいけば、仕事には農業・漁業・林業その他、しゃべることをメインとしない仕事はいくらでもあり、ことさらに「どもりであることだけ」で苦しむことはないのに、バブル崩壊とこの大不況でとっくに安定職ではなくなった「サラリーマン」に、未だに多くの人がなりたがっている日本ではあります。

 先日TV番組で大きく取り上げられていましたが、地方病院の窮状を救うべく立ち上がったおじいさんの医者の中に神山五郎氏がいらっしゃいました。
 神山氏と言えば、言友会の草創期に指導的な役割を果たされたと本で読んだことがあります。(私は言友会とは接点がありませんのであくまでも本で読んだだけです。)
 彼は80歳代半ばであるにもかかわらず矍鑠としていて、上野にも個人クリニックを開いておられます。

 その「e習慣クリニック上野」のHPのなかにこういう一文があります。(吃音外来のなかからの抜粋です。)
「今や、 IT時代、グローバル化時代そして総サラリーマン化時代(学生が社会人になる場合、昔は自営の農業・職人・商人ETCの道も沢山あった)、こんな時代、サラリーマンは様々な能力評価(コミュニカーション術も含む)にさらされています。 メール時代とも言われていますが、一方では、益々マニュアル化された「face to face のコミュニケション術」が求められているようです。 これが吃音者にとってはストレスの元になって、やがて人によってはうつ症状になる傾向もあります。」

 私の下手な文章よりも神山先生の一文が的確に、今の「どもりと仕事の関係」を表現しています。

 どんな仕事に就くか、就いたかによって、吃音の症状が落ち着くか、または、かえって悪化するか、の大きな分かれ目になるような気がします。(引きこもって仕事に就かないということもふくめて考える必要があります。)

 ですから、吃音に対処する専門家(言語聴覚士、臨床心理士、臨床発達心理士、etc)のチームのなかには、スーパーバイザーとして吃音者(それも、様々な症状や職業の方複数で)が必要です。
*対処するチーム自体ができていないのが現状ですが(泣!)

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「吃音と仕事」についてのバックナンバー2つ」への2件のフィードバック

  1. 管理人です。日本語もうまく話せない我々が言うのも変ですが(笑)、アジアの若者で本当に優秀な人は留学でも就職でもアメリカを目指しますね。日本へ介護の研修できているアジアの方々に対する対応をみても、閉鎖性がよくわかります。日本は潜在的には大きなパワーを持っていると思うのですが、なにしろ政治がこのざまでは。明治維新を成し遂げ、龍馬や高杉晋作を生み出した日本として情けない限りです。でも、名前なしさん個人で考えると、規格外、などと卑下することはありません。いつも世の中を変革するのは規格外の人間ですし、いまはそういう人間が活躍できる「乱世」ですからね。では。

  2. 昨日のクローズアップ現代でもアジアの優秀な留学生は日本で就職するのは1割に過ぎないことをやっていました。これは日本語能力を企業が求めるからです。やはり日本企業は人材を見る場合、規格に照らし合わせて規格外の人ははじめからお断りって感じがします。私は明らかな規格外の人間なので大変です。減点方式だとすぐ0になってしまいます。能力に関係なく、多くの人に働き甲斐のある仕事を生み出すことが社会で重要とはかんがえないんでしょうね。

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